ダニエル・C・デネットの『自由は進化する』を第8章まで読み進めてきましたが、デカルト的・伝統的主張を論破するのが目的の本なので、そもそもの論点がちゃんとわかっていない私のような初心者にはちょっと難解です。何か突破口はないかとネットを探してたまたま見つけた「Revenantのブログ」というサイトを読んだら、今まで気づいていなかったとても重要なことがわかってハッとしました。
デネットの思想を理解するうえで鍵となるのが、「志向姿勢(intentional stance)」という概念です。これは、相手がどんな振る舞いを「志向」(意図 intention)しているか、つまり何を考えているかを読む「姿勢 (stance)」で、「物理姿勢 (physical stance)」「設計姿勢 (design stance)」と対置される概念です。
何者か(例えば猛獣)に遭遇したとき、その動物は「何科の何属の何という種か」とか、「牙や筋肉はどんな構造をしているか」とか考えるよりも、相手は「何を意図しているか」を推測した方が素早く的確な判断ができます。「猛獣は今まさに自分を食べようとしている」と、その意図を推測できれば、逃げる、隠れる、武器を持って戦う等の対応が素早くできます。だから、先史時代の人類にとって「志向姿勢」は、生存のためにとても重要だったのです。
この「志向姿勢」は、大脳皮質が関与する「メンタライジング能力(=他者の心的状態を見出したり推論したりする能力)」によって可能になります。「メンタライジング能力」には、一次、二次、三次…と志向性の段階があり、これは大脳皮質の大きさと相関することがわかっています。ロビン・ダンバーは、著書『宗教の起源―私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』のなかで志向性を次のように例示しています(太字は、思考・想像・信念などを表す語句)。
1次 | 私は[雨が降っている]と思う |
2次 | あなたは[雨が降っている]と考えていると私は思う |
3次 | あなたは[人智を超えた世界に]神が存在すると考えていると私は思う |
4次 | 神が存在し、私たちを罰する意図があるとあなたは考えていると私は思う |
5次 | 神が存在し、私ちを罰する意図があることを、あなたと私は知っているとあなたは考えていると私は思う |
チンパンジーなどの大型類人猿と猿人(アウストラロピテクス)は2次、旧人(ネアンデルタール人)は4次、そしてわれわれ現生人類(ホモ・サピエンス)は5次以上の志向性を持つと言われています。上記の表によると、ネアンデルタール人の各個体は宗教的な概念を持っていたと思われますが、それを他者と共有することはできず、5次志向性を持つホモ・サピエンスになって初めて、集団で宗教を信仰することが可能になったと考えられます。
さて肝心の今回上のサイトを読んで分かったことは、「志向姿勢」は「他者」だけでなく「自己」にも適用できる(つまり自分が何かを意図している心の動きを自分自身が第三者的に把握できる)ので、自分という「意識」は実は「志向姿勢」によって解釈されたパターンにすぎないという点です。ルネ・デカルトは、今考えている自分が存在するいう事実だけは絶対に確実なことだとして、有名な「我思う、故に我在り」という命題を打ち出しましたが、「我」の実体はデカルトが考えたような超越的・絶対的なものではなく、「志向姿勢」によって自分の心の中に描き出されたパターンだったのです。
ということは、メンタライジング能力を持たない動物(チンパンジーなどは除く)は、何かを考えることはできたとしても、何かを考えている自分をイメージすることはできないので、「意識」を持っていないと言えるのでしょうか? 逆に、人工知能(AI)は、メンタライジング能力を獲得できれば「意識」を持つことができるのでしょうか?(どちらも「意識」の定義によるのでしょうが……)
このような「志向姿勢」や「意識」をもとに、次回は、メインテーマである自由と責任がどのように進化してきたかをまとめたいと思います。
【追記】第8章にこんな記述を見つけました。「将来には意識を持つ、自意識さえあるロボットが登場するかもしれない。できない話じゃない。」デネットは、将来AIが意識を持つようになると思っているようです。
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