(その2)で見たように近代経済学の理論は「経済人」という現実から乖離した仮定の上に構築されていますが、このことをうまく表現している喩え話があります(この喩え話にはさまざまなバージョンがあるので、最も基本形と思われるものを紹介します)。
ある公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。そこに通りかかった人が、その男に「何を探しているのか」と尋ねた。すると、その男は、「家の鍵を失くしたので探している」と言った。通りかかりの人は、それを気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからなかった。そこで、通りかかりの人は、男に「本当にここで鍵を失くしたのか」と訊いた。すると、男は、平然としてこう応えた。「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんですが、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんです」
近代経済学は、「経済人」という仮定をすることによって数学を使って定式化できるようになった範囲(つまり街灯の光が当たっている範囲)だけを研究しているのであって、もっと多様で複雑な動機を持つ人間の経済活動全体を範囲としては研究していないといえます。

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