表題の「自由で機能する社会」は、ピーター・ドラッカーの言葉です。ドラッカーは「マネジメントの父」、あるいは「マネジメントの発明者」と呼ばれ、経営学者として広く知られていますが、それはドラッカーの多彩な活動の一部にすぎません。
ドラッカーの出発点は、第二次世界大戦前夜の1939年春に出版された『「経済人」の終わり』と、第二次世界大戦中の1942年に出版された『産業人の未来』です。この2冊のなかで彼は、「なぜ全体主義は台頭したのか?」、そして「産業を中心としたこれからの社会はどのよう姿になるのか?」という社会的なテーマについて深く考えています。ドラッカーの関心は常に社会とその中に生きる人間にあり、彼は自らのことを「社会生態学者」と呼んでいます。
この記事では、「自由で機能する社会」という概念を理解するために、上記の2冊を通じてドラッカーが社会について考えたことを駆け足で振り返りたいと思います。
ヒトラーが率いたナチスは、武力によって権力を奪い取ったのではありません。ワイマール憲法の下で、選挙などの民主的な(と言える)手続きを経て、合法的に権力を手にしています。それが可能となった背景には、当時のヨーロッパの精神的秩序と社会的秩序の崩壊によって生じた一般大衆の絶望があったとドラッカーは分析しています。
そのことを理解するためには、もう少し歴史を遡る必要があります。18世紀半ばの産業革命を機に資本主義が発達しました。資本主義の基盤となったのは、「人間はもっぱら経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動する」という「経済人」の人間モデルです。バーナード・デ・マンデヴィルの『蜂の寓話』、あるいはアダム・スミスの『国富論』が出発点となり、その後ジェレミ・ベンサムの功利主義などを経て、近代経済学がさまざまな経済理論を構築するための重要な前提となりました。
しかし、実際には、「経済人」を前提とした経済や社会は、人々に自由と平等をもたらすことなく、その代わりにブルジョワ階級という新しい階級を生み出しました。また、資本主義に対抗して生まれた社会主義の失敗もやがて明らかになり、資本主義・社会主義両方の基盤であった「経済人」の概念が合理性を失ったのです。
しかし当時、「経済人」に代わる新しい概念が何一つ用意されていなかったと、ドラッカーは分析しています。「一人ひとりの人間は秩序を奪われ、世界は合理を奪われた」と。言い換えれば、人々は社会における「位置づけ」と「役割」を失ったのです。そしてそこに、「魔物たち」が再来します。第一次大戦と大恐慌です。絶望した大衆は、世界に合理をもたらすことを約束してくれるのであれば、自由の放棄もやむを得ないと覚悟し、ナチスの全体主義を受け入れたのです。
こういった体験を踏まえて、ドラッカーは2冊目の『産業人の未来』で、来るべき産業社会における人と社会のあり方を考えています。ドラッカーはこう言ってます。「われわれは社会を定義することはできなくとも、その機能の面から社会を理解することはできる。社会は、一人ひとりの人間に『位置づけ』と『役割』を与え、そこにある権力が『正統性』を持つとき、はじめて機能する」と。
私は、「権力の正統性」については異議がありますが(権力はその成り立ちからして正統なものではありえない)、社会が機能する条件としての人間の「位置づけ」と「役割」の重要性には大いに賛同します。
また、ドラッカーは「自由は楽しいか?」という問いも発しています。「自由は楽しいなどという考えは、ほとんど自由の放棄に等しい」と断定し、それに続けてこう述べていますが、まさにその通りだと思います。「自由とは責任を伴う選択である。権利というよりもむしろ義務である。自由とは、何かを行うか行わないかの選択、ある方法で行うか他の方法で行うかの選択、ある信条を信奉するか逆の信条を信奉するかの選択である。楽しいどころか、一人一人の人間にとって重い負担である。自ら意思決定を行うことであり、それらの意思決定に責任を負うことである。」
ただし、ここで一つ注意を要することがある。ドラッカー自身は敬虔なキリスト教徒であり、したがって、彼が考える自由は、前に紹介したデネットの定義とは本質的に異なります。
そのことは、ドラッカーの初期の著作『もう一人のキルケゴール──人間の実存はいかにして可能か』を読むとよく分かります。ドラッカーは、「当時(19世紀)は誰も、『人間の実存(主体としての存在)はいかにして可能か』との問いの意味を否定すれば、人間の自由の意味を否定することになることが分からなかった」としたうえで、「キルケゴールは、もう一つの答えを出す。人間の実存は、絶望のなかではない実存、悲劇のなかではない実存として可能であるとする。それは、信仰における実存として可能である」と言っています。つまり、ドラッカーが考える自由は、あくまでも信仰を前提とする自由でなのです。
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