これから述べる提言は、新しい社会の枠組みを提示するものではないし、強い力によって世の中全体を一気に変革しようとするものでもありません。急に変革を進めようとすると、必ずそれに反対する勢力が現れて深刻な分断と対立が生じることは、これまでの人類の歴史が証明しています。
また、この記事やこの記事で述べたように、自由の基準は各人の心の中にあるので、社会全体を変えたとしても、それによって一人ひとりの自由が拡大するとは限りません。変えなければならないのは社会全体の在り方ではなく、一人ひとりの考え方や行動のほうです。
つまり、一人ひとりが、「気づき」によって考え方と行動を変え、それが世の中に広がり、次の世代へと受け継がれることによって「いつの間にか社会が変わっていた!」というゆるやかな変化こそが、分断と対立を生まない変化の形なのです。
ここで重要なことは、他の人から教えられたり、指示されたりするのではなく、各人が自分で考える過程で、「誤作動」の存在に気づくことです。したがってこの「提言」の核心部分は、どうすれば人々の「気づき」を促進できるかということになります。
とは言っても、ヒトが家庭や地域社会や国家から受けている影響は大きいので、これらの影響下で別の考え方もあることに気づくのは、極めて難易度の高い心の動きです。たとえば、代々一神教を信じてきた家庭で育ち、家族と一緒に教会に通っていれば、その絶対神を信じるのは自然な流れです。生まれ育った地域社会に昔からある風習や慣例に対しては、疑いの念を持つこともないでしょう。そして、そのような状態が約1万年もの長い間続いてきたのです。このような状況下で「誤作動」の存在に気づくのは、ほとんどあり得ないことだと思われます。
ところが近年、そのような懸念を払拭してくれる新しい情報インフラが産声をあげました。それは、1960年代に始まり、1992〜1995年に急速に一般ユーザーにも普及したインターネットと、その環境下で運用される検索エンジンやSNSなどのサービス、そして近年急速に発達したAIです。下の人類カレンダーを見てください。ヒトの歴史を一年に見立てると、インターネットの普及は大晦日の夜に除夜の鐘が鳴り始めてからの出来事です。
インターネット上で交わされている情報は、この記事で触れたように、金子郁容が『ボランティア もうひとつの情報社会』の中で述べている「動的情報」です。「動的情報」は、「進んで人に提示し、それに対して意見を言ってもらい(つまり相手から情報をもらい)、相手から提示されたその情報に対して、今度はこちらから自分の考えを提示する……という相互作用の循環プロセスによって生み出される情報」です(金子郁容, 1992)。
この「動的情報」のやり取りが、対面での会話や文通といった従来の方法とは桁違いの頻度と密度で可能になったのが、インターネットの最も重要な特性です。そして、この特性こそが、「気づき」を促進し世の中を変えていくかもしれないポテンシャルの源泉です。 しかし、そのポテンシャルを現実のものとするためには、もう少し環境整備が必要である。それを次の記事で述べることにします。


コメント