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Consideration

ミヒャエル・エンデの『モモ』と『エンデの遺言』

ニシ浜

ミヒャエル・エンデ(1929年〜1995年)はドイツの児童文学作家で、小説、絵本、詩集などの作品を多数残しています。代表作の一つ『はてしない物語』は映画化され、日本では『ネバーエンディング・ストーリー』というタイトルで上映されたので、記憶に残っている人も多いと思います。ただしエンデは、自分に無断で脚本が書き直されたことが不満で訴訟を起こしています。

『モモ』は、本国ドイツに次いで日本でよく読まれているエンデの代表作で、1974年にドイツ児童文学賞を受賞しています。児童向けファンタジー小説の形を取っていますが、物語のいたるところに現代社会への風刺が散りばめられています。時間に追われる生活のなかで生きる意味を見失ってしまった大人にこそ読んでほしい一冊です。

『モモ』は、モモという名前の少女(年齢は明記されていませんが、8歳から12歳くらい)が、勇気を振り絞って、町の人々から時間を盗んだ灰色の男たちに立ち向かう物語です。

灰色の男たちは「時間貯蓄銀行」という謎の組織に所属していて、時間を節約するようにと言葉巧みに町の人々を勧誘します。床屋のフージー氏への勧誘は、こんな具合です。

たとえばですよ、仕事をさっさとやって、よけいなことはすっかりやめる。年よりのお母さんとすごす時間は半分にする。いちばんいいのは、安くていい養老院に入れてしまうことですな。そうすれば一日丸一時間も節約できる。それに、役立たずのセキセイインコを飼うのなんか、おやめなさい! ダリア嬢の訪問は、どうしてもというのなら、せめて二週間に一度にすればいい。寝るまえに十五分もその日のことを考えるのもやめる。とりわけ、歌だの本だの、ましていわゆる友だちづきあいだのに、貴重な時間をつかうことのはいけませんね

こうやって節約した時間を「時間貯蓄銀行」に長年預けると、2倍になって戻ってくるというので、フージー氏は勧誘にのって時間を節約し始めました。母親を養老院に入れ、セキセイインコはペット屋に売り払い、ダリア嬢には「暇がないからもう行けない」という事務的な手紙を書きました。

しかし、時間の節約を始めたフージー氏は、だんだんと怒りっぽい落ち着きのない人になっていきました。そして、時間が経つのがどんどん早くなり、あっという間に一年が飛びさっていきました。さらに不思議なことに、フ―ジー氏は灰色の男とのやり取りの記憶をすっかり無くしてしまったのです。それでもフージー氏は時間の節約をやめようとはしませんでした。

モモの大親友である道路掃除夫ベッポじいさんの掃除の仕方も、以前とはまったく変わってしまいました。「せかせかと、仕事への愛情などもたずに、ただただ時間を節約するためだけに」働くようになり、「じぶんのしていることがたまらなくいやで、吐き気がしそう」になりました。

実は、灰色の男たちは自分の時間を持っておらず、こうやって町の人たちから盗んだ時間を使うことによってしか生きられない。だから、もし盗んだ時間の蓄えがなくなってしまったら、その瞬間に消えてなくなる運命にあるのです。

町の人々が灰色の男たちの存在を忘れてしまったなかで、モモだけがそれに気づき、時間を司るマイスター・ホラ(正式にはマイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ)や、カメのカシオペイアの力を借りて、灰色の男たちに立ち向かいます。そのワクワクする物語をここに書くわけにはいかないので、ぜひ小説『モモ』を読んでください。

ところで、エンデ自身は『エンデと語る』(子安美知子訳)のなかで、『モモ』は単に時間に追われる現代人に警鐘を鳴らしているだけでなく、「もう少しさきのところまで言っているつもりなのです」と語っています。

ドイツの経済学者ヴェルナー・オンケンは、『モモ』の物語の背後に、お金が商品として売買されている現代の経済システムに対する疑問に加えて、「減価する貨幣」や「老化するお金」という概念が隠されていることに気づき、「経済学者のための『モモ』」という論文を書いたうえで、エンデに書簡で確認を取っています。エンデは、大いに喜んで、「それに気づいたのはあなたが最初でした」と回答しています。

また、編集工学研究所所長だった松岡正剛も、『千夜千冊』のなかで、「時間」は「貨幣」と同義であり、「『時は金なり』の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ」と、同様の指摘をしています。

これらの指摘の内容は、エンデが亡くなる1年半前に行われたインタビューの録音テープをもとに編集された『エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと』を読むとよく分かります。

「時間と共に価値が減るお金」という概念はドイツの思想家シオビオ・ゲゼルが、そして「老化するお金」という概念は哲学者であり教育者でもあるルドルフ・シュタイナーが提唱した概念です。

世の中に存在するあらゆる物は、出来上がったその瞬間から経年劣化が始まります。劣化を防ぐためには保守が必要で、それなりに費用がかかります。しかし、唯一の例外はお金で、お金は劣化しないどころか、銀行に預ければ逆に利子がついて増えます。このようなお金の特異な性質に疑問を持ったのが、ゲゼルであり、シュタイナーであり、そしてエンデでした。

お金は利子を生むだけでなく、株式などを短期的に売買して差益を稼ぐことにも使われます。最新のIT技術を駆使すれば、1秒間に数えきれない程の売買を繰り返して差益を稼ぐことも可能になってきました。現在世界中で流通しているお金の95%以上は、このような取引に使われています。

エンデはこのように言っています。「重要なポイントは、たとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、2つのまったく異なった種類のお金であるという認識です」。

これらのことを理解したうえでもう一度『モモ』を読み直すと、モモとマイスター・ホラとのこんな会話にドキッとさせられます。

モモ「あの人たち、いったいどうしてあんな灰色の顔をしているの?」

マイスター・ホラ「死んだもので、いのちをつないでいるからだよ。おまえも知っているだろう、彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主からきりはなされると、文字どおり死んでしまう。人間はひとりひとりじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうに自分のものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」

この会話の「時間」を「お金」に換えてみると、エンデが言いたいことが見えてくるような気がします。本来の目的から逸脱して暴走するお金は、死んだお金と言えるのではないでしょうか。

これに対して、他のあらゆる物と同じように、お金も時間とともに価値が減っていくべきだという主張が、先に挙げた「減価する貨幣」や「老化するお金」です。実際に、特定の地域限定で使われている「地域通貨」のなかには、使わないと価値が減っていく(つまりマイナスの金利がつく)ものも存在します。

これはあくまでも私見ながら、銀行は預金金利をゼロにして、口座維持手数料をもっと取ればいいと思います。また、株式や土地などの短期的な売買で得られた利益に対しては、懲罰的に高い課税をすればいいと思います。たとえば、得られた利益の95%を税金として徴収すれば、誰もばかばかしくて投機的行動なんかしなくなるでしょう。私の感覚では、短期とは3年、あるいは5年以内です。もちろん、真にやむをえない理由が認められれば、一般的な税率を課すことになります。

この記事に書いたように、あくなき利益の追求は、過去に飢餓のリスクという淘汰圧を乗り越えた結果得られた形質の「誤作動」です。

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