この記事の続編です。
前の記事は備忘録的なものだったので、もう少し体系的にまとめてみました。
以前「ヒトはどこでどう道を誤ったのか?」という記事をアップしましたが、今考えると、この表現は厳密には正しくなかったような気がします。なぜなら「ヒトが自らの意志で選択をしたが、それは誤った判断だった」というニュアンスが強いからです。もしヒトの意志による選択ならば、もっといろいろな選択のパターンが人類の歴史として残っているはずですが、世界中のどの地域でも概ね同じような史実(王による支配と戦争の歴史)ばかりが残っています。これをどう考えればいいのか?
これら数々の間違った選択のきっかけは、ヒトの意志ではなく、遺伝子からの命令だったと考えれば、世界中で同じような歴史が並行的に進行してきたことに合点がいきます。
そして、ここで最も重要な点は、これらの「誤ち」の本質が「進化によって獲得され、当初は適応的だった形質の誤作動」であるということです。リチャード・ドーキンスは著書『神は妄想である』の中で、とても分かりやすく誤作動を例示しています。蛾は自らロウソクの炎に飛び込むといった、まるで焼身自殺のような行動をすることがあります。このような破滅的行動は、実は遥か遠方の月や星以外に人工的な光がなかった時代に進化した形質の誤作動なのです。蛾は、このような光をコンパスとして利用し、光に対して何度の角度で飛ぶといった経験則を無条件に適応して、螺旋状の飛跡を描きながら火に飛び込むのです。
同様に、ヒトが狩猟採集生活をしていた頃に進化によって獲得した適応的な形質が、定住を機に急激に変化した生活環境に対しては適応的でなくなって誤作動を起こしたのが、ヒトの「誤ち」の本質でなのです。
以下に誤作動を列挙します。
この記事で見たように、「志向姿勢」は、サバンナで猛獣と遭遇したような時にとっさに対応できるという点で、狩猟採集生活時代のヒトにとって適応的でした。ところが「志向姿勢」の副次的な作用として、自然界のありとあらゆるものに「意図」があると擬人的に捉える傾向をヒトにもたらしました。これが誤作動を起こした結果、人格を持った神への信仰が始まり、やがて一神教の信仰へと発展して、大きな負担を伴う教義への絶対的な服従や、他の宗教との深刻な対立をもたらしました。
この記事でみたように、「自尊心(=pride)」は、当初は、集団の中で自分が他者からどれくらい受け入れられているかを示す計測器(ソシオメーター)として進化したと考えられていますが、この感情の誤作動が、高い地位、集団の支配、他国の侵略、そして「いじめ」の原動力となっています。
この記事でみたように、近親者が多い小集団内での生活が何万年も続いた時代に適応的だった「情動的共感」が、その後の複雑化した社会において誤作動し、特定の宗教や政治イデオロギーに対する熱狂的な支持と、それに反対する人たちへの激しい憎悪のエネルギー源となっています。
同じくこの記事でみたようにフリーライダーが存在すると集団内の利他行動が消滅してしまうので、ヒトは集団内にフリーライダーが存在しないか、常に目を光らせるように進化しました。しかし、この形質の誤作動によって、ヒトは他人の行動をこと細かくチェックし、フリーライダーだけでなく、自分や集団内の多数派と違う行動や考え方を排除するようになりました(これは「いじめ」の引き金にもなる)。それとは逆に、他人の目を常に気にして、人とは違う行動を自粛するようになりました。
この記事でみたように、ヒトが狩猟採集生活をしていた頃の環境の変化は、天変地異を別にすれば、数百年、あるいは数千年単位でゆっくりと進行しました。少なくとも、直接言葉で伝承することができる2〜3世代の間は同じ環境がずっと続いたので、経験豊富な年長者や有力者が言うことにはそれなりの重みがあり、それに従っていれば生き残れる確率が高かったはずです。このように狩猟採集生活の時代においては、ヒトが年長者や有力者に従順な傾向は適応的でしたが、短期間のうちに状況が変化する環境や、民衆を騙そうとする為政者が多数存在する環境においては、これが誤作動を起こす確率は極めて高いといえます。
脳はたくさんのエネルギーを消費する燃費の悪い臓器なので、エネルギー補給が十分でなかった時代には、できるだけ脳に大きな負荷をかけたくないというニーズから、大脳新皮質のような高度な認知資源を使った【タイプ2】の思考過程を使うことを控えて、進化的に組み込まれたモジュールや、その他後天的に身につけたヒューリスティックを使った【タイプ1】の思考過程が多用されたと考えられますが、現代においてもそれが誤作動を起こし、ヒトは短絡的に即断しがちになりました。
この記事でみたように、哺乳類に共通する進化の方向性として、配偶者獲得競争に勝つために雄の体格が雌に比べて大きくなり、犬歯が鋭くなり、性格が攻撃的に進化しました。ヒトの場合は、進化が進むについてこれらの形質が徐々に弱まって、現生人類(ホモ・サピエンス)が狩猟採集生活をしていた頃には、比較的男女平等な社会になっていました。しかし、狩猟採集よりも重労働の農耕と牧畜が始まると、これらの形質が誤作動を起こし、体格と体力に優る男性が生産に必要な資源を独占して、男性優位の父系社会が広まっていきました。
王や権力者たちの蓄財行動や、機関投資家たちの投機行動は、狩猟採集生活の時代の飢えの体験によって進化した遺伝情報の誤作動なのかもしれません。
エドワード・O・ウィルソン『人類はどこから来て、どこへ行くのか』の中で、「われわれは、石器時代からの感情と、中世からの社会システムと、神のごときテクノロジーをもつ」と言っています。この大きなギャップによって、誤作動が引き起こされたのです。
しかし、そんな悲観することはありません。ヒトは、言語によって文化を形成することで、遺伝子の変化を経由しない新しい進化の方法を手にしています。ヒトには自由意志があり、自らの選択によって遺伝子の束縛から逃れることが可能です。リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の第11章「ミーム−新登場の自己複製子」の末尾に「この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」と書いています。
これから提案しようとしているのはまさにこの「自己複製子の専制支配に対する反逆」です。今こそ、現代の道徳観・倫理観に基づいて、古い時代に形成された遺伝情報の誤作動を修正する時なのです。
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