インターネットの普及は、ヒトの歴史のなかでも、言語の発明に匹敵するほどのエポックメイキングな出来事と位置付けできる。しかし、すでにみてきた「誤作動」の影響を受けて、かなり歪な運用形態になってしまっているので、まずそれを修正する方向での環境整備が急務である。
(1)広告料収入に依存したビジネスモデルからの脱却
インターネットの前身の「ARPANET」は、米国防総省・高等研究計画局の資金提供により、大学や研究機関を繋ぐネットワークとして誕生し、主に学術研究用のネットワークとして発達した。その流れを受けて、当初はインターネットの商用利用が禁止されていたのだが、米国では1990年に、日本では1993年に、商用利用が解禁された。
この解禁を境に、まさにかつての「ゴールドラッシュ」のように、多くのIT企業がインターネット空間に殺到した。これらの企業が提供するサービスの多くは、この記事で述べた「広告料収入によって提供されている無料サービス」である。最初に無料の検索サービスが始まり、次に無料のSNSが急拡大した。
最近のSNSにおいて、たくさんの閲覧数が期待できるなら(つまり儲かるなら)、デマでもフェイクでも、なんでもアップしようする嘆かわしい傾向があるのは確かだ。しかし、閲覧数や視聴率が最優先なのは、広告料収入を原資に無料で提供されている20世紀型のビジネスモデルすべてに共通することで、むしろテレビなどのマスコミはその先輩格だといえる。
このようなビジネスモデルにおいては、(1)プラットフォームやコンテンツを提供することと、(2)広告料収入を稼ぐことという2つの目的が併存し、どちらが主たる目的で、どちらが従たる目的なのか不明確になる。それに伴って倫理的な感覚の麻痺が生じやすいと考えられる。またSNSにおいては、プラットフォーマーだけでなく、ユーザー自身も広告料収入を稼ぐ機会が得られるので、その傾向が加速するのだろう。
誤解のないように言っておくが、インターネット上で金儲けをしてはならないと言っているのではない。正々堂々と料金を徴収するビジネスのほうがシンプルで健全だと言いたいのである。最近では定額制料金「サブスク(=subscription)」が、さほど抵抗なく受け入れられるようになってきている。
最後に、インターネット空間がささらに拡張していく領域として、「メタバース」が期待されている。メタバース上に「自由で機能する社会」のモデルを構築できれば、多くの人々に具体的なイメージを伝えることができるのではないかと思う。そのためにも、メタバースが「広告料収入によって提供されている無料サービス」に毒されないことを願っている。
(2)権力から独立したファクトチェック機能
SNS上では、有益な情報も悪意や犯罪性のある情報も同じように交わされる。しかし、それは従来のコミュニケーション手段でも同じことである。ただ、情報交換の頻度と密度が高いので、それぞれの情報が世の中に与える影響が格段に大きくなったことは確かである。
現在のSNSに対するマスコミの批判的な報道をグーテンベルクの時代に置き換えると、「活版印刷は犯罪を助長するような情報を大量に世の中に広めるから実にけしからん!」というような感じになるのだろう。マスコミがSNSをはじめとする新しいメディアに対して総じて批判的な立場を取るのは、メディアの主役の地位を奪われそうだという危機感があるからかもしれない。
また、国民を思想的に操作する目的でSNSが為政者たちに悪用されることがあるが、過去の歴史を振り返ると、それはマスメディアに共通する現象である。第二次世界大戦中の日本のメディアのことを思い出してほしい。
問題の根っこは、SNSにあるのではなくて、多様性を尊重する意識が十分に浸透していないからとか、勝ち組・負け組といったall or nothing的な思考が支配的だからとか、金儲け第一主義が横行しているからとか、教育の内容が画一的で受験予備校的だからとか、そういった社会の在り方のほうにある。
この状況がすぐに改善されることは期待できない以上、今最も求められているのは、「社会に広がっている情報・ニュースや言説が事実に基づいているかどうかを調べ、そのプロセスを記事化して、正確な情報を人々と共有する営み」、すなわち「真偽検証(=ファクトチェック)」である(ファクトチェック・イニシャティブ,2025)。
インターネットの普及によって世の中を駆け巡る情報量が桁違いに拡大した今、ファクトチェックは世の中の健全性を支える最も重要な基盤になってきた。その成否が人類の未来を左右すると言っても過言ではない。
(3)中立的なアルゴリズムの採用とその公開
私たちは、同じ検索エンジンに同じキーワードを入力して検索すれば、誰にも同じ検索結果が表示されると思いがちであるが、実はそうではない。検索アルゴリズムはたくさんの要素を総合的に考慮するように設計されているが、そのなかに検索者の過去の閲覧履歴なども含まれていて、検索者のニーズや関心などが反映される。
こういったアルゴリズム設計の背景には、自社の商品に関心を持っているヒトに的を絞って情報を提供したいという「ターゲティング・マーケティング」の考え方があるのだろう。
しかしこの影響で、類似した傾向のサイトばかりが上位に表示され、利用者の視野が狭くなってしまう「フィルターバブル」と呼ばれる現象が起きやすい。
この問題への対策としては、次のような工夫が考えられる。
- 異なる意見が存在する場合には、どちらの意見も同じ優先度で対置して表示されるようなアルゴリズムを採用する
- 「同一意見優先」「反対意見優先」といったように、パラメーターを自分で調整できるようにする
このような工夫がされた中立的な検索エンジンや生成AIは、どのような権力から独立した非営利的な組織で運営されることが望ましい。そしてこのような検索エンジンの利用者が拡大し、現在の検索エンジンよりも高いシェアを持つようになればいいと思う。
さて、検索エンジンよりもよりいっそう偏りが生じやすいのは、SNSのタイムラインである。前述のフィルターバブルに加えて、そもそもSNSのタイムラインは自分が友達登録したり、フォローしたり、「いいね」をしたりした相手の記事が優先的に表示されるようになっている。したがって、自分と同じような意見や嗜好の記事がたくさん表示されるのは避けられない。これを「エコーチャンバー現象」という。
実際に見比べたわけではないのであくまでも推測であるが、アメリカの共和党支持者と民主党支持者のタイムラインには、まったく異なる世界が展開されているのだろう。これでは対立と分断がますます深まる一方である。いろいろな条件下におけるタイムラインを比較してみる研究は、意義があるように思う。
エコーチャンバー現象を緩和するためには、友達登録やフォローした人の記事以外に、さまざまな立場で書かれた記事がタイムラインに並置されるようなアルゴリズム上の工夫が必要かもしれない。さらに、そのような工夫の仕様が公開されて、利用者がそれを理解することが重要である。
(1)〜(3)の環境整備がうまく進めば、インターネット空間は多種多様な考え方に満遍なく触れることができる人類共通の知的財産(=図書館)に変貌するはずである。そしてその効果は、人口が減少している先進国よりも、人口が急増しているグローバル・サウスなどの地域のほうが大きい。今後インターネットの利用者になっていく膨大な人々に、多様な考え方の存在を提示して、「気づき」を促すことができるだろう。

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