「広告料収入によって提供されている無料サービス」について

先日、「MacでChromeブラウザを使うとAppleのプライバシー保護機能が無意味になる」という記事を見かけました。そこまで極端なのかよく分かりませんが、これに関連して、私が日頃から「広告料収入によって提供されている無料サービス」について思っていることを書きます。

昔からある「広告料収入によって提供されている無料サービス」の代表は、民間放送のテレビ番組です。ほとんどの人は、民間のテレビ局の仕事は番組を放送することと思っていますが、それはまったくの勘違いです。民間のテレビ局の本業はコマーシャルを流して広告料収入を稼ぐことで、それは民間のテレビ局の損益計算書を見れば明らかです。「タイム収入」と「スポット収入」という「放送収入(=広告料収入)」が売上高の大半を占めています。番組は、できるだけ多くの広告料をスポンサーに払ってもらうためのツールに過ぎないのです。それゆえ民間のテレビ局は、情報の価値といったことよりも、どうやったら高い視聴率が得られるかをもっぱら考えています。それに加えて、多額の広告料を払ってくれるスポンサーにとって不利な情報はできるだけ流さないようにと常に気を配っています。

GoogleやFacebookなどはインターネットの普及によって生まれた新しい「広告料収入によって提供されている無料サービス」です。これらの無料サービスの特徴は、ユーザー属性やWebサイトの閲覧履歴などを基にユーザーが関心を持っていると思われる内容を掲載する「ターゲティング広告」の手法を駆使していることです。ピンポイントに的を絞った広告を流すことができれば、それだけ高い広告料を請求できるので、これらのサービス提供会社はユーザーの情報を収集することに極めて熱心です。冒頭で触れた「MacでChromeブラウザを使うとAppleのプライバシー保護機能が無意味になる」という記事を読んだ時、私はさもありなんと感じました。民間放送のテレビ局と同様に、GoogleやFacebookの本業は、無料サービスを提供することではなく、広告料収入を稼ぐことなのです。

少し観点が変わりますが、著名なスポーツ選手やアーティストなどは、コマーシャルに出演することによって巨額の報酬を得ています。それは一般人の金銭感覚では考えられないほど巨額です。広告主がそれほど巨額の出演料を払うのは、彼らが登場するコマーシャルには支払った出演料以上の効果が期待できるからです。同様のことは、Youtubeなどで閲覧回数が多いコンテンツに対しても言えます。

これから先は、あくまでも私の個人的な意見ですが、「広告料収入によって提供されている無料サービス」は、極端な商業主義をよりいっそう加速させて、世の中を不健全な方向へと歪めているような気がしてなりません。むしろ、相応の課金があっても、広告のないコンテンツの方が健全だと思います。

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