【再訪】前田高地(ハクソーリッジ)

激戦地の前田高地(ハクソーリッジ)へは、2018年1月以来の再訪です。前回アップした記事は(→こちら)。前回は、争奪戦の目標になったワカリジー(ニードルロック)に通じる道が分からなかったのですが、その後新しい道ができたお蔭で、今回はたどり着くことができました。

この戦いは1945年4月25日から5月6日にかけて続き、日米双方に多数の戦死者が出ました。2016年に公開されたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」にも、激戦の模様が描かれています。「ハクソー(Hacksaw)」は「弓鋸」の意味で、急な崖が弓鋸の刃のように見えるからです。

日本軍の陣地壕跡。その向こうの石垣は浦添城跡のもの。

日本軍の陣地壕

浦添ようどれ(陵墓)の石垣に残っているのは、激戦による弾痕と思われます。

石垣の弾痕

展望台にあるハクソーリッジの説明板。

展望台にあるハクソーリッジの説明板

展望台からの眺め。左のこんもりとした緑の丘が最初の激戦地の嘉数高台で、その右奥が普天間基地。この方向から米軍が首里を目指して進軍してきました。

ハクソーリッジからの眺め

ディーグガマは、鍾乳洞が陥没してできた御嶽です。戦後、戦没者の遺骨が納められましたが、その後糸満市の摩文仁に移されたそうです。

ディーグガマ

ガマの入り口。

ディーグガマ

内部には拝所があります。

ディーグガマ

クチヴヮーガマは、沖縄戦当時に周辺住民の10家族ほどが避難しましたが、兵士もガマに入り、戦闘が激しくなったために、最後は3家族になったそうです。

クチグヮーガマ
クチグヮーガマ

前回往訪時には、道が分からずたどり着くことができなかったワカリジー(ニードルロック)。この岩をめぐり、日米の激しい争奪戦が繰り広げられました。

ワカリジー
ワカリジー

戦跡ではないですが、グスクの南側から貴重な城壁の石組みが見つかっています。

新たに見つかった古い石垣跡

下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。

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