【閲覧注意・悲惨な写真あり】被爆地広島を訪れて(その3)

その1)(その2)から続く。

広島平和記念資料館には被爆者の遺品や当時の写真などが多数展示されていて、当時の惨状を現在に伝えています。Web上でも、その多くを見ることができます(→こちら)。

爆発のイメージ。
原子力爆弾が爆発した瞬間のイメージ

爆発の熱エネルギーによって生じたきのこ雲は高度17,000mにまで達したと言われています。写真の左下に写っている人間と比較してもその大きさがわかります。
きのこ雲

さまざまな地点から撮影されたきのこ雲。
きのこ雲

8月6日午後に御幸橋西詰に設置された応急救護所付近の写真。火傷などを負った人々が集まってきています。
応急救護所付近の写真

8時15分で止まった懐中時計。爆心地からの距離:1,600m。
8時15分で止まった懐中時計

空襲により火災が周辺に広がるのを防ぐために、建物を取り壊して防火帯を作ることを「建物疎開」と言います。広島市にも建物疎開命令が出され、その作業に中学校、高等女学校、国民学校高等科1・2年生などが動員されていました。8月6日も8000人以上の学徒が出勤し、うち約6,300人が死亡しました。

女学生の衣服。被爆後にその日の様子を両親に話しましたが、当日の深夜に亡くなりました。爆心地からの距離:800m。
女学生の衣服

中学生の学生ズボン。土橋付近の建物疎開作業現場で被爆し、かけつけた両親にみとられて亡くなりました。爆心地からの距離:800m。
中学生の学生ズボン

「黒焦げの弁当箱」。建物疎開作業現場で被爆した中学生の持ち物で、その日の朝に母親が作って持たせたものです。爆心地からの距離:600m
黒焦げの弁当箱

女学生の靴。
女学生の靴

当時3歳だった伸ちゃんは、この三輪車に乗っている時に被爆し、その夜に亡くなりました(詳しくは→こちら)。爆心地からの距離:1,500m。
伸ちゃんの三輪車

建物疎開作業現場で被爆した中学生たちの帽子・学生服・ゲートル。爆心地からの距離:900m
中学生たちの帽子・学生服・ゲートル

銀行の入口の階段に腰かけて銀行の開店を待っていた人の影が残る「人影の石」。強烈な熱線により、まわりの石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰かけていた部分が影のように黒くなって残りました。爆心地からの距離:260m。
人影の石

熱線によって衣服が焼け焦げて、多くの人が重い火傷を負いしました。
火傷の写真

火傷の様子を写した写真。
火傷の写真

被爆による急性障害で皮下出血による紫斑が出た兵士。
皮下出血による紫斑が出た兵士

爆発後20分後くらいから放射性物質を含んだ黒い雨が広島の街に降り注ぎました。白壁に黒い雨の跡が残っています。爆心地からの距離:3,700m。
白壁に残った黒い雨の痕

爆風によって変形したトタン板。爆心地からの距離:330m。
トタン板

焼け跡に残った品々と当時の写真。
焼け跡に残った品々と当時の写真

学校の講堂にぎっしり横たえられた負傷者を描いた絵。
学校の講堂にぎっしり横たえられた負傷者を描いた

これらの展示物の詳しい説明は(→こちら)から見ることができます。なお、広島平和記念資料館の建物の写真を撮り忘れましたが、丹下健三の設計で、国の重要文化財に指定されています。


2016年5月27日に米国のバラク・オバマ大統領が広島を訪問し、広島平和記念資料館を見学しました。オバマ大統領が自ら折って持参した鶴と芳名帳に書いたメッセージ。
折り鶴とメッセージ20160922-221

We have known the agony of war.
Let us now find the courage, together,
to spread peace and pursue a world
without nuclear weapons.

私たちは戦争の苦しみを経験しました。
共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。


繰り返しになりますが、私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。


(その4)に続く。

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