岸田首相が掲げる「新しい資本主義」の「個人の金融資産を貯蓄から投資にシフトさせる」について

岸田首相が掲げる「新しい資本主義」のなかの「個人の金融資産を貯蓄から投資にシフトさせる」に対して強い違和感を感じています。コロナ禍の影響もあり、生活が苦しくて金融資産どころではない世帯が増えているうえに、今後は少子高齢化が急速に進展して否応なく経済が縮小していく日本において、政策としてしなければならないことは、そんなことではないと思います。

投資へのシフトがなぜダメなのか。2013年から2014年にかけてこのブログに書いてきた「お金の本質を問い直そう(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)」を、まとめて以下に再掲します。


お金の本質を問い直そう(その1)

お金にはさまざまな機能があります。

  1. 交換の手段=お金を払って物を買う
  2. 価値の尺度=この商品は◯◯円だ
  3. 貯蓄=今すぐには使う予定がないお金を将来に備えて銀行に預ける
  4. 利殖=預けたお金に利子がつく
  5. 投資=配当や長期的なキャピタルゲインを期待して株式などを買う
  6. 投機=短期的な売買によって利鞘(転売益)を稼ぐ

よく「投機マネー」という言葉をよく耳にしますが、それは6.の「投機」へと向かうお金です。ただ、5.の「投資」と6.の「投機」との境目は曖昧です。私の感覚では、株を買ったら少なくとも5年は持ち続けるくらいでないと、やっぱりそれは「投機」なんだろうと思います。そして、一説によると、世界中で動いているお金の95%以上は「投機マネー」だそうです。「投機マネー」の動きによって株式や為替の相場が乱高下して世界経済が混乱することが、近年大きな問題になっています。

「モモ」や「はてしない物語(「ネバーエンディング・ストーリー」として映画化)」といった児童向けファンタジー小説の作家として知られるミヒャエル・エンデは、お金の本質について深く考察した人です。彼はこう言っています。「重要なポイントは、たとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は、2つの全く異なった種類のお金であるという認識です。」NHKが晩年のエンデにインタビューしたテープをもとに、特別番組が放送され、『エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと』という本が出版されました。

銀行に預金すれば利子がつくのは常識ですが、マイナスの利子がつく(預金が減っていく)ような世界をエンデは考えています。特別扱いされているお金を他の財貨と同じ地位に戻すことによって、人類はお金の呪縛から解放されるのだという考え方です。

お金の本質についてもう少し考えてみたいと思います。


お金の本質を問い直そう(その2)

狩猟採取生活をしていた先史時代には、生きるために必要な食物を得るのがやっとでした。ところが、技術の進歩や道具の発達に伴って、生きるために必要な量以上の収穫が得られるようになりました。さらに農耕が行われるようになると食物の生産量は飛躍的に拡大し、大量の余剰が生まれるようになりました。また、食物以外の品物(衣服や道具など)をもっぱら作る人も現れました。それらは物々交換されるようになります。

物々交換においては、自分の欲しい物を持っている人がかならずも自分が提供したいと思っている物を欲しているとは限りません。これではなかなか交換が成立しないので、やがて価値が安定している特定の財貨が交換の媒介物として機能するようになりました。これがお金の起源です。したがって、お金のもっとも基本的な機能は、交換手段としての機能と、価値の尺度としての機能です。

この頃になると、複数の人間による恊働が大規模に行われるようになり、特定の作業に長けた人がその仕事を専門的に行うようになって分業体制が高度化します。すると、重要な役割を担う人がより多くの分配を受けるようになり、分け前に差ができるようになります。それ自体に問題はないのですが、多くの分け前を受け取ることができる役割が世襲化され、特定の一族によって独占されるといったことも起こり始めました。

他の人よりも多くの分け前を得る人(一族)や、あるいはこのページに書かれたような不当な方法で他人の成果を分捕る人(一族)のもとには、たくさんのお金が蓄えられるようになります。すると今度は、蓄えをもっともっと増やしたいという欲望が生まれます。


お金の本質を問い直そう(その3)

世の中のほとんど物は、時間の経過とともに劣化して価値が減り、やがて使えなくなって価値がゼロになります。廃棄費用がかかって、実質的に価値がマイナスになる場合もあります。しかし、お金は世の中がよほど混乱しない限りは価値が一定です。だから、財産を蓄えるためには、他の財貨よりもお金で保有したほうが安全で有利です。

その後、お金が余っている人から不足している人へとお金を融通する金融という仕組みが起こり、借りたお金を使用することの対価としての利子(利息)が生まれました。こうなると、お金の価値は減価しないどころか、利子(利息)の分だけ増えていくことになります。

金融には、銀行のような金融機関が間に入る「間接金融」と、直接的にお金を融通する「直接金融」があります。最も広く行われている「直接金融」は株式の購入です。ある会社の株式を購入することは、すなわちその会社に出資することです。会社はそのお金を使って事業を行い、得られた利益の一部を「配当」として出資者に分配します。上記の利子(利息)はお金のやり取りに先だって何%と決められますが、配当はその事業で利益が出なければ分配されません。このように結果が不確実でリスクのある対象にお金を投下することを「投資」と言います。

その一方で、投資をしたことの証としての株券や債券は市場で売買され、その価格(相場)が刻々と変動します。投資条件のいい株券や債券は、買いたいと思う人が多いので高い値がつきます。相場がこのように変動するなかで、買った値段よりも高い値段で売れば差益(利ざや)が得られます。この差益のことを「キャピタル・ゲイン」と呼びます。

短期的な価格変動の目論見から利ざやを稼ごうとする行為が「投機」です。「投資」と「投機」は区別しにくい……、というよりも「投資」のなかで短期的なキャピタル・ゲインを主に狙ったものが「投機」だと言ったほうがいいでしょう。そしてそのなかでも特に大規模でギャンブル性が高いものは「マネーゲーム」と呼ばれます。


お金の本質を問い直そう(その4)

物事は、さまざまな観点や基準で評価することができます。ある基準で評価すると今ひとつだが、見方を変えて別の基準で評価するとすばらしい!、ということがたくさんあります。価値観が多様化している今日においては、むしろこのような複眼的な物の見方が重要になってきています。

ところが、ひとたび「お金」が絡むと複眼的な物の見方は忘れ去られ、「金額(=売上・利益)」という単一の基準で評価されるようになります。このような強力な還元力は、(その1)に書いた「お金」の機能の「2.価値の尺度」に由来するものです。

売上も利益もその商品が「市場」で受けた評価だと考えると、そこにはさまざまな観点や基準による評価が反映されていると言えなくもありません。でも、ほんとにそうなのでしょうか?

以下にあげるのは、実話というより「どこにでもある話」です。

事業の目的は消費者にとって価値ある商品やサービスの提供して顧客を創造することであって、売上や利益はその結果としてついてくるものというのが正しい道筋である。ところが、事業計画を立てるときには、まず売上いくら、利益いくらという数値目標を定めて、それを達成するためにはどうしたらいいかという逆の道筋で議論を進めることが多い。このように定められた数値目標が、間違った意思決定を誘発する。 新しい商品やサービス、あるいは新しい事業ドメインを選ぶ時、量的に、より大きな売上が期待できるもの、より大きな利益が期待できるものが選考される。たとえそれが、ほんとうに世の中から求められているものとは異質であったとしても…… 経済環境・技術・消費者ニーズなどが変化して、ある商品やサービスの存在価値が失われたとしても、その商品やサービスのためにすでに多額の投資をしている場合には、「撤退」という勇気ある判断が難しくなる。

バックミンスター・フラーは、「富は、一般的に私たちの大部分に認められている貨幣ではなく人間の生命を維持・保護・成長させるものだ」と言っています。「お金」を基準に据えると、このような考え方をするのがとても難しくなります。私たちは日常的にさまざまな意思決定を行いながら生きていますが、「お金」という基準に捕われて間違った判断をしていないか、ときどきチェックする必要があります。


お金の本質を問い直そう(その5)

最初は多様な価値観が存在していても、いったんそこにお金が絡むと、すべてが「売れるか」「儲かるか」という金額の尺度に還元されてしまうことを(その4)で述べました。そして、その強い還元力は財産にも及びます。本来、財産だと思えるものは人それぞれ違います。たとえば、友人、家族、人望、経験など……。しかしここにお金が絡むと財産=お金となり、いかにお金を増やすかということに、ただそれだけに、人々の関心が集中するようになります。夏目漱石の「道草」にはこんな一節があります。

みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ。

まさにこの一節が、お金の強力な還元力を表現しています。

そして人々は、お金を増やすために、多少リスクがあってもよりゲインが大きい対象にお金を投じる行為(=投資あるいは投機)に走るようになります。コンピューター技術の発達によって、一秒間に数千回も売買を繰り返して鞘を稼ぐ高頻度取引(HFT:High Frequency Trading)も可能になってきました。このような取引が相場の混乱要因になって、実体経済にも少なからず悪影響を及ぼしていると聴きます。

ここで、(その3)を読み返してください。本来「投資」とは事業に出資することです。出資先を選ぶ基準は「この事業は成功して将来大きく成長するだろう」「この事業は世の中のためになるだろう」といったように長期的な展望に基づくものであるはずです。

さて、最後に自分なりの提言を書きたいと思います。個人的な気持ちとしては投機を法律で規制したいところですが、規制はあまりよくないので、その代わりに株式や債券の短期的な取引に対しては、馬鹿らしくて誰もそんなことをしようと思わなくなるくらい高率の(たとえば売買益に対して99%の)税金をかけるのがいいと思います。

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