【再掲】お金の本質を問い直そう(その5)

昨日「お金の本質を問い直そう(その1)」を再掲しましたが、今日は結論的なことを書いた「お金の本質を問い直そう(その5)」を載せます。(その2)から(その4)はリンクを辿ってください。


最初は多様な価値観が存在していても、いったんそこにお金が絡むと、すべてが「売れるか」「儲かるか」という金額の尺度に還元されてしまうことを(その4)で述べました。そして、その強い還元力は財産にも及びます。本来、財産だと思えるものは人それぞれ違います。たとえば、友人、家族、人望、経験など……。しかしここにお金が絡むと財産=お金となり、いかにお金を増やすかということに、ただそれだけに、人々の関心が集中するようになります。夏目漱石の「道草」にはこんな一節があります。

みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ。

まさにこの一節が、お金の強力な還元力を表現しています。

そして人々は、お金を増やすために、多少リスクがあってもよりゲインが大きい対象にお金を投じる行為(=投資あるいは投機)に走るようになります。コンピューター技術の発達によって、一秒間に数千回も売買を繰り返して鞘を稼ぐ高頻度取引(HFT:High Frequency Trading)も可能になってきました。このような取引が相場の混乱要因になって、実体経済にも少なからず悪影響を及ぼしていると聴きます。

ここで、(その3)を読み返してください。本来「投資」とは事業に出資することです。出資先を選ぶ基準は「この事業は成功して将来大きく成長するだろう」「この事業は世の中のためになるだろう」といったように長期的な展望に基づくものであるはずです。

さて、(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)とお金の本質について書いてきましたが、最後に自分なりの提言を書きたいと思います。個人的な気持ちとしては投資(とくに投機)を法律で制限したいところですが、それはあまりよくないので、その代わりに株式や債券の短期的な取引に対しては、馬鹿らしくて誰もそんなことをしようと思わなくなるくらい高率の(たとえば売買益に対して99%の)税金をかけるのがいいと思います。

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