被爆地広島を訪れて(その2)

その1)から続く。

原爆ドームは、もともとは「広島県物産陳列館」として1915年(大正4年)4月5日に竣工した建物で、設計はチェコ人の建築家Jan Letzel(ヤン・レッツェル)。爆心地(その1)から約200m西に位置します。凄まじい熱線・衝撃波・爆風によって建物の大半が破壊されましましたが、かろうじてドーム部分の枠組みと外壁などが残りました。当日勤務していた職員は、数時間前に帰宅した1名を除いて、全員即死だったそうです。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、特に「負の世界遺産」と呼ばれています。

原爆ドーム

ドーム直下の内部。
ボーム直下の内部

枠組みと外壁だけが残っています。
枠組みと外壁だけが残っています

別の角度から。
別の角度から

説明のプレート。
説明のプレート

訪れる人のなかに欧米人の比率が高いと感じました。
欧米人の比率が高い

対岸の平和記念公園から見た原爆ドーム。被爆前の写真と比べると、原爆の威力の大きさが窺い知れます。
対岸の平和記念公園から見た原爆ドーム


繰り返しになりますが、私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。


(その3)に続く。

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