倫理的に葛藤が生じるような設問「トロッコ問題」の原案を提起したフィリッパ・フットは、美徳や道徳的性格を主要な主題として扱う「徳倫理学」の礎を築いた一人として知られる哲学者です。
フットの考える「自然的な善さ」とは、ある生物種において、進化によって形成された「生のあり方」が、その生息環境条件のもとでうまく機能している状態を差します。つまり、その生物の本性に根差した生のあり方が実践されていることを言います。もちろんこれは、ヒトについても当てはまります(Foot, 2014. pp. 56–75)。本稿の言葉で言えば、進化によって形成されたヒトの心理が慢性的な「誤作動」を起こしていない状態に近いと言えるでしょう。
また、幸福と自然的な善さの関係については、幸福は快楽や満足だけを意味しているのではなく、幸福の深さが「善さとしての幸福」と関係していると言っています。つまり幸福とは、善いものを楽しむこと、正しい目的を成就し追及することを楽しむことなのです(Foot, 2014. p. 180)。
このようなフットの主張を、提言の文脈に沿って整理してみます。
【表面的な幸福】
- 快楽
- 気分のよさ
- 一時的な充足
これらは扇動や同調でも増え、誤作動を増長する可能性があります
【深い幸福】
- 自分の能力が活きている
- 他者との関係が自然である
- 長期的に無理がない
- 慢性的な歪みがない
- 本性との動的整合感
つまり、ヒトという種の生のかたちをよく実現している状態です。
誤作動が慢性化している社会では、人々の幸福は短期的な快楽や一時的な満足に偏りやすくなる。一方、誤作動が修正された社会では幸福は深くなりやすく、深い幸福を実感しているヒトの割合も増えます。
「自由で機能する社会」は、ヒトという種の進化的形質が、現在の情報環境のもとで慢性的誤作動を起こしにくい社会のフェーズであり、言い換えれば、深いところで無理をしていない社会です。
そのような社会では、個体レベルで「自然的な善さ」を感じているヒトの割合が増加します。これは、社会レベルでの自然的な善さの増大と捉えることもできます。

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