「国に代わるもの」(仮称)

今年、この「Opinion」のカテゴリーに書いていこうと思うことの導入的な内容を書いてみたいと思います。

まずは、今まで何ども書いてきたことの繰り返しになりますが、「国」という存在は、「クリティカル・パス」の寓話(→こちら)のなかで、「ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男」が、棍棒の力を背景に、自分がその土地の所有者であると主張した「なわばり」です。つまり、「国」は元来「民」のものではなく、「小男」が勝手に自分が所有者であると主張した土地です。市民革命によって「小男」の末裔である「絶対君主」は倒されましたが、それに代わって「国」を運営することになった「政治家」や「官僚」も、本質的に「小男」の末裔に変わりません。人類は未だにほんとうの民主主義を経験していません。

ほんとうの民主主義は、「国」という存在がなくなったときに実現します。その次に登場するもの(仮に「国に代わるもの」と呼ぶことにします)は、次のような特徴を持っています。

  1. 「国に代わるもの」の運営は、「伽藍方式」によってではなく、「バザール方式」によって行われる(「伽藍とバザール」については→こちら)。
  2. 「国に代わるもの」では、代議員が運営方針を決めるのではなく、構成員一人ひとりが直接意見を述べることができる(直接民主主義)。
  3. 多数決によってたった一つの方針を決めるのではなく、多様な意見や主張がそれぞれ尊重され、お互いに対立しないように調整される。
  4. 一つの方針を打ち立てて「民」を率いる「リーダー」はもはや存在せず、多様な意見や主張を調整する「コーディネーター」が重要な役割を果たす。
  5. 「税」の本質は「小男による収穫物の横取り」なので、これは廃止される。「民」は自分が受けた公共サービスに対して、適正な代金を支払う。さまざまな理由で代金を払うのが困難な人には、代金の免除などの措置が講じられる。
  6. 「国に代わるもの」の範囲は、かならずしも地理的な区域と一致しない。
  7. 複数の「国に代わるもの」の間で意見の食い違いが生じた場合にも、話し合いによって解決され、戦争のない世界が実現する。

 

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