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Consideration

日本の中世に存在した「無縁」という自由で平和な空間

ニシ浜

網野善彦(1928年〜2004年)は、主に日本の中世史を研究する歴史学者で、支配者層の側から見た歴史ではなく、一般庶民(農民だけでなく職人や芸能民など)にスポットライトを当てた新しい日本の歴史像を浮かび上がらせています。

1997年頃に神奈川大学の網野研究室で、『日本社会の歴史(上・中・下)』について直に話を聞く機会があリマした。本のタイトルが「日本の」ではなく、「日本社会の」となっている点が、いかにも網野の歴史観を表していたと思います。

ここでは、網野の著書『無縁・公界・楽』を取り上げます。この本の中心概念である「無縁」は、今の時代に一般的に使われている「縁がない」という意味ではなく、もっと能動的に社会や権力の支配の及ばない場に向かうことを意味しています。中世の日本の職人・芸能民・勧進聖(寺院の建立や修繕などの費用を奉納させるために説いてまわる僧侶)などの間には、このような自由で平和な空間があったと網野は主張しています。

 たとえば、若狭の万徳寺という真言宗のお寺に駆け込めば、重罪を犯した者でさえ捕えられることはありませんでした。そのことは若狭国の守護である武田信豊が文書で認めています。網野は、この文書に「無縁所」という言葉が出てくることに着目しています。この寺は、世俗の世界における主従関係や貸借関係とは無縁なのです。

同様に、女性が縁切寺に駆け込めば、当時離婚権がなかった女性も、女性の側から離婚することができました。

また、無縁の集団や無縁の場には女性をたくさん見出すことができると網野は指摘しています。たとえば、大原女(大原から京の都まで薪や柴や農作物などを運んで売り歩く女性)、桂女(京都の桂川の鮎や飴などを売り歩いた女性)、巫女、遊女、白拍子、縫物師、組師など、多くの職種で女性がたくましく自立し活動していた記録が残っています。

網野は「無縁」が持っている権利として次のものを挙げています。

  • 不入権
  • 地子・諸役免除
  • 自由通行権の保証
  • 私的隷属からの「解放」
  • 平和領域、平和な「集団」
  • 貸借関係の消滅
  • 連坐制の否定
  • 老若の組織

「無縁」のような特殊な領域は日本の中世に特有のものではなく、世界中に広く存在しました。「聖域」「自由領域」「避難所」などを指す「アジール」は古代から存在しましたが、日本の中世の「無縁」はこれと同一と考えてよいです。

ただし、このような領域の拡大は、為政者の側からするとても不都合なことです。為政者たちはさまざまな方法で「無縁」の無力化を図り、その結果しだいに「無縁」は力を失っていきました。

しかし、世の中の既存の仕組みから切り離された「無縁」という自由で平和な空間は、「自由で機能する社会」の形を考えるにあたって、大きなヒントになると思います。

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