この記事で見たように、戦争(=為政者たちによる侵略行為)が始まったのはおよそ1万年前です。侵略行為の本質は昔も今も変わっていませんが、19世紀以前と20世紀以降とで大きく変わったことがひとつあります。それは科学技術の発達に伴って殺戮がより大規模で残酷になったことであり、その最終兵器が核爆弾です。為政者たちが核を手にするに至って、人類の滅亡という最悪のシナリオがより現実味を帯びてきました。
「相手が核攻撃を仕掛けてきたら、こちらも核で報復するぞ」という能力と意思を示すことによって核戦争は防止できるという考え方を「核抑止」と言います。この考え方は2つの楽観的な前提の上に成り立っており、それゆえに絵に描いた餅と言わざるを得なません。
第1の楽観的な前提は、為政者たちが常に合理的な判断をしてくれるだろうというものです。ところが、歴史を振り返れば、敗色濃厚となった為政者が自暴自棄となって破れかぶれの行動に出た例はたくさんあります。
たとえば、首都ベルリンが陥落するまでのヒトラーとその周りの人たちの様子を描いたドキュメンタリー作品『ヒトラー 最期の12日間』を読むと、ヒトラーがすでに正気を失っていたことは明らかです。
追い詰められたヒトラーは、間断なく部下に質問し、先入観を持って自分に都合よく解釈し、命令を下してはすぐにそれを取り消しました。怒りを爆発させ、処刑を命じ、最後に最も信頼していた部下の裏切りを知ると深く絶望し、結婚式を挙げたばかりの妻と一緒に死を選びました。
ヒトラーは「われわれは滅亡するかもしれぬ。だがその時は一つの世界を道連れにしてやる」と宣言しています。彼が核のボタンを押さなかったたった一つの理由は、幸いにして、彼がまだ核を手に入れていなかったからです。
この例から分かるように、今すぐに、世界中の為政者から核兵器を取り上げて、未来永劫に封印してしまわないと、取り返しのつかないことになるのは火を見るより明らかです。
第2の楽観的な前提は、人為ミスやシステムの誤作動、あるいは不慮の事故といった偶発的事象は核兵器に関しては起きないだろうというものです。偶発的な事象によって、あわや核戦争が起きそうになったり、核爆発が起こりそうになったりした事例が多数報告されています。
最も有名なものは、冷戦真っ只中の1983年9月26日に起きた「スタニスラフ・ペトロフ中佐の決断」と呼ばれる事例です。この日、モスクワ近郊の軍事拠点でスタニスラフ・ペトロフ中佐が当直勤務をしていると、人工衛星による監視システムが米国から合計5発の大陸間弾道ミサイルが飛来しているとの警告を発しました。しかし、スタニスラフ・ペトロフ中佐は、(1)本当に米国からの先制攻撃だったらソ連側の反撃能力を一気に殲滅するために同時に無数のミサイルを発射してくるはずであること、(2)当時の人工衛星システムの信頼性はそれほど高くないと彼自身が感じていたこと、(3)数分経過しても地上のレーダーには反応がなかったことなどから、これはシステム・エラーだと自ら判断し、上官に報告しませんでした。これはソ連の軍服務規程に違反する行為でしたが、もし彼が規程通り上官に報告していたら、米国に対する報復攻撃が命じられて、核戦争が勃発していたかもしれません。
後の調査によると、この警告は、上空の雲に反射した太陽光をシステムが誤ってミサイルだと判別したものだったようです。なお、軍服務規程に違反したスタニスラフ・ペトロフ中佐は懲戒処分を受け、閑職に左遷された後に早期退役し、神経衰弱に陥ったと伝えられています。
「スタニスラフ・ペトロフ中佐の決断」は、実際の軍の意思決定に係る事案ですが、いわゆる「不慮の事故」によって核爆弾があわや爆発しそうになった事例は複数発生しています。いずれも米空軍で起きた事例ですが、以下に時系列で追ってみます。
1961年1月24日、米南部ノースカロライナ州ゴールズボロ上空を飛行していた米空軍爆撃機B-52が、空中給油に係る偶発的な事象がもとで制御を失って空中分解しました。搭載していた水素爆弾2発が地上に落下し、このうち1発はあとわずかな要因が加わっていれば核爆発する可能性が十分あったとされています。2発の水爆は、それぞれが広島型原爆の250倍以上の威力だったと言われています。
1966年1月17日、スペイン南部の上空で米軍機同士が衝突し、アンダルシア州アルメリア県クエバス・デル・アルマンソーラのパロマレス集落に水素爆弾3発が、近くの海中に水素爆弾1発が落下しました。地上に落下した3発のうち1発は無傷でしたが、残りの2発は、核爆発こそしなかったものの、起爆用の火薬の爆発によって破損し、飛散した大量のウランとプルトニウムが土壌を汚染しました。海中に落下した1発は80日後に発見されサルベージされました。
1968年1月21日、核武装したB-52爆撃機をソ連国境沿いに空中待機させる「クロームドーム作戦」の任務のために、4発の水素爆弾を搭載し飛行していた米空軍爆撃機B-52が火災を起こし、グリーンランドのチューレ空軍基地付近の海氷上に墜落しました。核爆発は起きませんしたが、起爆用の火薬の爆発によって核爆弾が破損し、大規模な放射能汚染を引き起こしました。後に、水素爆弾4発のうち1発が未回収であることが報道されて大きな問題となりました。
これらの事例が示しているように、「核抑止」の概念は非常に危うい基盤の上に構築された机上の空論であり、「抑止」どころか、逆に最も危険な「導火線」だと言えます。

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