決定論と自由意志に関する問題

この記事の続編です。

『自由は進化する』ダニエル・C・デネットを読んでいますが、自由と責任がどのように進化してきたかを論ずる前段階の、決定論と自由意志に関する箇所がなかなか難解で苦戦しています。古くから議論されてきて、いまだに結論が出ていない問題ではありますが、従来の説に対するデネットの反論の論理展開にちゃんと着いて行けません。論点整理の突破口になればと思って、木島泰三の『自由意志の向こう側』を並行して読み始めました。

さて、デネットの本を読む前の私自身の考え方は、だいたい以下のようなものでした。

  • ヒトの意識や自由意志は脳の働きによるもので、「物質」とは異なる「神」や「魂」の存在には依存しない
  • あの世(前世や後世)や天国や地獄は存在せず、死んで脳が活動を止めれば、「自分」はなくなる
  • この宇宙は量子力学的(確率論的)な世界であって、決定論に支配されていない
  • したがって、各瞬間において選択は可能であり、自由意志は存在する

しかしデネットによれば、決定論か非決定論かは「原子レベル」での話で、それらが集まってシステムとして構成された「設計レベル」では、決定論か非決定論かに関係なく選択肢はあって、自由意志は存在するとのことです。「決定論は不可避性を意味しない」とも言っています。途中の論理過程にわからない箇所もありますが、この結論自体は腑に落ちます。

さらに、このように唯物論的立場で考えていくうちに、「人工知能(AI)に意識は宿るのだろうか?」という新たな疑問が湧いてきました。そもそも「意識とは何か?」ということ自体よくわかっていませんが、ヒトの脳も物質なのだから、AIが同様に意識を持つこともあり得そうな気がします。ただ、両者の大きな違いは、ヒトは生命体で、コンピュータは非生命体であるという点です。意識が生命体に特有の現象であるとすれば、非生命体のAIは意識を持ち得ないでしょう。この辺りは、デネットの『自由は進化する』を読み進めばわかってくるかもしれません。

「自由は進化する」
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