西原町小波津の民家の塀

この記事では、一度に3つの戦跡を紹介していたので、それぞれ独立させました。

首里城の地下壕にある沖縄守備隊第32軍の司令部を目指して米軍は南進してきました。西原町は首里攻防の激戦地で、この民家の塀の弾痕が戦闘の激しさを物語っています。住民もたくさん犠牲になったそうです。


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

西原町小波津の民家の塀

西原町小波津の民家の塀


このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【メモ】
西原町の県道34号と県道155号が交わる呉屋交差点から、県道155号を首里方面に350mほど行き、そこを左折し80mほど行くと右側にある。

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