「鎌倉殿の13人」から見えてくる為政者の本質

「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えました。実に見応えがありました。同時に、為政者の本質がうまく表現されていたと思います。

奈良時代や平安時代の為政者は、朝廷であり、そのトップの天皇(あるいは上皇)でした。ただ、743年に墾田永年私財法が制定されると大規模な新田開発が行われ、「荘園」が各地にできるようになります。さらに、地方の豪族も武装化して武士団となっていきます。そして、「鎌倉殿の13人」で描かれていた西暦1200年前後は、日本の実質的な為政者が朝廷から武家に代わっていく、まさにエポックメイキングな時代だったわけです。

ここで、何度も引用しているバックミンスター・フラーの「クリティカル・パス」の一節を思い出してください。最後の太字の部分が「鎌倉殿の13人」で繰り広げられた権力闘争です。そして、私が言いたい最も重要な点は、現代の政治家たちも、一見すると民主的な選挙で選ばれているように見えるけれど、その本質はこの寓話の「ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男」と何ら変わらないということです。

自分の民と群れの世話をしている羊飼いの王(※)がいる。そこに、ウマにまたがり棍棒を腰に吊るした小男がやってきた。彼は羊飼いの王のところに乗りつけ、頭上から見おろして言う。「さて、羊飼いさんよ、あんたがあそこで飼っているのはとてもみごとなヒツジだからな。知っているかい、ここら荒野であんな立派なヒツジを飼うっていうのはかなり危険なんだぜ。この荒野は相当危ないんだ」。羊飼いは答える。「俺たちは何世代もこの荒野でやってきたが、困ったことなど一つも起きなかった」。
それ以来、夜ごと夜ごとヒツジがいなくなり始める。連日のように、ウマに乗った男がやってきては言う。「まことにお気の毒なことじゃないか。ここはかなり危険だって言ったろう、なあ、荒野じゃヒツジがいなくなっちまうんだ」。とうとう羊飼いはあまりに災難がつづくので、男に「保護」を受ける対価としてヒツジで支払い、その男が自分のものだと主張する土地で独占的に放牧させてもらうことに承諾する。
羊飼いが侵入している土地は自分の所有地だという男の主張にあえて疑問をさしはさむ者はいなかった。男は、自分がその場所の権力構造であることを示すために棍棒を持っていた。彼は羊飼いの背丈をはるかに越えて高く立ち、あっという間にウマで近づいて羊飼いの頭を棍棒でなぐることができた。このようにして、何千年も昔に、20世紀でいうゆすり屋の「保護」と縄張りの「所有権」とが始まったのである。小男たちはこのときはじめて、いかにして権力構造をつくり、その結果、いかにして他人の生産力に寄生して生活するかを学んだのだった。
その次に、ほかのウマに乗った連中との間で、誰が本当に「この土地を所有している」と主張できるかを決する大規模な戦いが始まった。……

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