西東京市にある縄文時代の「下野谷遺跡」が国史跡に指定されて10周年を向かえることを記念するシンポジウム「したのや縄文の里をみらいにつなぐ」がタクトホームこもれびGRAFAREホールで行われたので行ってきました。ただ、午後は別の予定があったので、午前の以下のプログラムだけ聴いてきました。
- 趣旨説明「史跡下野谷遺跡の10年」
- 記念講演「なぜ今下野谷遺跡か。パブリックアーケオロジーの現在」 東京大学 松田 陽氏
- 講演「したのやムラの誕生と衰退」 学習院女子大学 工藤 雄一郎氏
- 報告「ここまでわかった!したのやムラの姿」 西東京市教育委員会 学芸員 入澤 実瑞記氏
それにしても、西東京市東伏見のこの場所で、約1,000年もの長い期間、一定の秩序が維持された大規模集落が存続し続けたことは実に驚くべきことです。上記の講演などを聴いて特に興味深かったことをまとめると、
- 従来、縄文時代の生業は狩猟・採集・漁労だと言われていたが、計画的にダイズ・アズキ・エゴマなどの栽培が行われてこと<これは三内丸山遺跡でも確認されている>
- 威信財などの”特別な宝物”が出土していないこと<三内丸山遺跡では出土している>
- 約4500年前に急にムラが姿を消してしまったこと<従来は地球規模での寒冷化(4.2kaイベント)が原因とされていたが、寒冷化が始まるよりも早い時期に姿を消している>
戦争のない平和な時代が何千年も続いた縄文時代は、戦争に明け暮れている現代に多くのヒントを与えてくれるはずです。もっと縄文時代について深く知って、「提言」にも反映させたいと考えています。


資料

当時の生活の様子をあらわした模型

これはたぶん10年前に指定された時に作ったのぼりか?

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