識名宮の壕

識名宮は、琉球王国の尚元王(在位1556年 – 1572年)の時代に、長男・尚康伯の病気回復祈願のために創建されたといわれており、琉球八社の一つに数えられる由緒ある神社です。元々の社殿は現在の本堂裏のガマの中にありましたが、地上に移して現在の姿になったようです。かつてはガマ自体が信仰の対象だったのでしょうか?このガマは、沖縄戦当時は住民の避難壕として使われました。

識名宮

ガマの入り口。鍵がかかっていて中には入れません。
壕の入り口

中を覗いてみると、拝所があリます。
壕の内部


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。

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