ヌヌマチガマ・ガラビガマ

沖縄県南部の八重瀬町新城にあるヌヌマチガマとガラビガマは中で繋がっていて、沖縄戦では第32軍第24師団の野戦病院の分院(新城分院)として使われていました。1945(昭和20)年3月からは県立第二高等女学校の4年生56人(白梅学徒)が動員され、看護の補助をしていました。この新城分院にも5名が配置されています。主な任務は、手術や処置の際の明かり(ろうそく)持ち、負傷兵の排泄物の始末、切断された手足の処理などだったそうです。負傷兵の数は多い時には1,000人に達したと言われています。

戦局の悪化により、6月3日にこの野戦病院は閉鎖されます。その際、身動きできない重症の負傷兵(500名以上に及んだと言われています)には青酸カリが投与されたり、衛生兵による処置(殺害)が行われたそうです。一方、白梅学徒に対しては6月4日に「解散命令」が出されました。学徒は数名ずつに分かれて南部へ向かいますが、「鉄の暴風」と形容されるほどの激しい地上戦に巻き込まれて22名が命を落としました。

ヌヌマチガマ・ガラビガマ

壕の入り口

白梅学徒隊の説明

白梅学徒隊の説明

白梅学徒隊の説明

申し込めば手術壕の中に入ることができます。
手術壕の案内

手術壕の入り口

 


私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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