【再訪】富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕

富盛の石彫大獅子には2019年3月以来の再訪です。前回の記事は(→こちら)。

八重瀬町富盛の高台にある石彫大獅子(シーサー)は1689年に造られたもので、沖縄最古のシーサーと言われています。1689年は、沖縄では第二尚氏(後期)の尚貞の時代、本土では5代将軍綱吉の時代です。

富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕

沖縄戦では、米軍が下の写真のようにこのシーサーを盾代わりにしため、全身に痛々しい弾痕があります。

説明板
富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕
富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕
富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕

下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。

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