旧西原村役場壕跡

沖縄本島中部の西原村(現在の西原町)は沖縄戦における首里攻防の激戦地で、村民の約47%が戦闘に巻き込まれて亡くなりました。一家全滅世帯が476家族に及んだそうです。

旧西原村役場壕跡は、沖縄戦に備えて西原村役場が重要書類などを退避させていた壕です。案内看板によると、

旧西原村役場壕

西原町指定文化財(2014年3月18日指定)
1941年の太平洋戦争勃発後、日本軍の戦況が悪化してくると、大本営は沖縄に第32軍を配備し、西原村でも西原国民学校などに1200名が駐屯しました。
戦況がますます厳しくなった1944年6月ごろ、西原村役場でも地元住民から人夫を雇って役場壕を掘り、戸籍簿・土地台帳などの重要書類や、公金・公印・出納簿・戦時債権などを重さ1トンほどもある壕内の金庫に収納していました。
役場の事務は米軍の本島上陸直前まで行われ、毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管していました。
戦後、壕内はそのまま放置され、1980年ごろ、土建業者が道路に面した部分をえぐってしまったために主壕の壁が壊され開口してしまいました。本来の入り口は北東に向かった二カ所です。
今日、戦争の歴史的教訓が年々風化するなか、太平洋戦争の悲惨さを物語る、本町での数少ない戦争遺跡のひとつとなっています。

これが正面のように見えますが、実は土建業者が誤ってえぐってしまった部分。
旧西原村役場壕跡

こちらが本来の入り口。

案内看板。

壕の内部。
旧西原村役場壕

旧西原村役場壕

旧西原村役場壕


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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