集団自決之地の碑(産業組合壕跡)

沖縄本島への上陸に先立って、米軍は1945年3月26日に座間味島に上陸しました。追い詰められた座間味村の村長・助役・収入役・役場職員・その家族の59名が産業組合壕の中で集団自決しました。生存者の証言もないので当時の状況はよくわかっていませんが、「軍官民共生共死」「捕虜になるよりは自決せよ」「鬼畜米英」といった軍国主義教育が生んだ悲劇だと思います。沖縄戦における集団自決の様子はWikipediaの→この記事に詳しく乗っています。

集団自決之地の碑(産業組合壕跡)


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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