県庁壕跡

沖縄戦の戦火を逃れるため、1945年4月下旬から首里陥落直前の5月25日頃まで間、沖縄の県庁と警察のほとんどの機能がこの県庁壕に移されました。なお、この当時の状況は、昨年7月から全国で順次公開されている映画「島守の塔」にも描かれています。

識名霊園の中に案内の矢印が立っています。
識名霊園にある案内の矢印

識名霊園にある案内の矢印

県庁壕の入り口。鍵がかかっていて中に入れません。
県庁壕の入り口

5月25日に、荒井退造警察部長が「六十万県民ただ暗黒なる壕内に生く。この決戦に敗れて皇国の安泰以て望むべくもなしと信じ、この部下と相ともに敢闘す」と内務省に打電した後、この壕を離れて南部に移動しました。
電文

県庁で鍵を借りれば、壕内を見学できるようです。
壕に入るための説明

鉄格子の隙間から壕の中を覗いてみたところ。
壕の内部を覗いたところ


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。

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