【宮古島の戦跡】海軍第313設営隊の地下壕

宮古島は島全体が平坦な地形で、航空基地として最適と判断されたので、3つの飛行場が作られました。そして、陸軍・海軍合わせて3万人の軍人がこの島に集められました。宮古島では沖縄本島のような地上戦は行われませんでしたが、1944(昭和19)年10月10日の初空襲以来、度重なる空襲を受けて、軍事施設も一般民家も焼け野原になりました。加えて、1945(昭和20)年5月4日には、沖合に集結したイギリス軍艦から艦砲射撃も受けました。平和祈念公園の「平和の礎」には、宮古地区で3,311人の戦没者名が刻まれていますが、実際の戦没者はもっと多いと言われています。

宮古島には、戦時中の陣地などの壕がたくさん残っています。基地施設建築や陣地築城を任務とした海軍第313設営隊の本拠地として使われた「海軍第313設営隊の地下壕」は、総延長が500m以上に及び、島内最長の壕と言われています。

海軍第313設営隊の地下壕

海軍第313設営隊の地下壕

海軍第313設営隊の地下壕

海軍第313設営隊の地下壕


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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