魂魄の塔(こんぱくのとう)と全国各地出身者の慰霊碑

糸満市の米須地区は、沖縄戦終盤に兵士や住民が追い詰められ、洋上の軍艦からの艦砲射撃や、戦闘機からの爆撃や、地上の兵士からの銃撃などによって多数の犠牲者が出た場所です。終戦後に米軍の命令で食料確保のための農作業を行なっていた島尻郡真和志村(現那覇市)の住民によって、1946年2月に「魂魄の塔(こんぱくのとう)」が建てられました。終戦後の最も早い時期に建てられた慰霊碑です。「周辺に散乱していた遺骨3万5千余柱」は、自然洞窟を利用した納骨場所に収まりきらずに大きな山になったと伝えられています。

沖縄戦における住民の戦争参加については(→こちら)、住民犠牲については(→こちら)。

魂魄の塔

塔に刻まれた翁長助静の歌

和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきのみ床の上をわたる潮風

魂魄の塔

千羽鶴


「魂魄の塔」の周りや摩文仁の平和祈念公園には全国各地出身者の慰霊碑があります。しかし「沖縄の塔」はありません。「あえてあげるならば、この『魂魄』が沖縄県の碑といえるかもしれない」とのことです(→こちら)。

ひろしまの塔

大分の塔

北霊碑

大和の塔

和歌山の塔

讃岐の奉公塔

島根の塔


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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