西原の塔

本土決戦まで時間を稼ぐための持久戦を沖縄戦の基本戦略とした日本の陸軍第32軍は、米軍の上陸はあっさりと許した代わりに、宜野湾村(現宜野湾市)嘉数から西原村 (現西原町)にかけたラインに陣地を築いて米軍の南進を阻止しました。そのためこの一帯は激戦地となり、兵士だけでなく、多数の一般住民も犠牲になりました。

当時の西原村の人口の46.9%に当たる5,106名が亡くなり、一家全滅率は22.1%に、1人以上戦没者が出た世帯は83.6%に及びました。

字別戦争被害者柱数
西原の塔
西原の塔
戦没者の氏名
西原の塔の沿革

下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【追記】
〜人、〜民族、〜教徒といった具合に、人にラベルを貼ることをやめれば、今世界各地で起きているような争いは起きないでしょう。ラベル貼りの習性は、たぶん、太古の昔の初期人類の進化の過程から生まれたものだと思いますが、それを自由と平等の理念によって乗り越えてこそ、人間の人間たる所以ではないでしょうか。

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