特攻艇秘匿洞窟群

先日アップした「米軍上陸の地碑」から比謝川を数百メートル上流に行ったところに、日本軍が「特攻艇」を隠していた「特攻艇秘匿洞窟群」があります(詳細は→こちら)。「特別攻撃(特攻)隊」というと、零戦によって行われた「神風特攻隊」をもっぱら思い浮かべますが、ベニヤ板造りの小さな舟に大型爆雷を積んで敵艦に体当たりする「海上特攻」など、さまざまな「特攻」が行われていました。初期の「特攻」は「決死の覚悟で」という意味で、必ずしも兵士の死を意味しなかったようですが、途中からは体当たりして死ぬことを意味するようになりました。「特攻」によって、たくさんの若い命が散ってしまいました。

写真は「特攻艇」を隠していた洞窟で、付近に同様の洞窟が複数存在するとのことですが、私は写真の洞窟しか見つけられませんでした。

沖縄戦の概要はWikipediaに詳しく書かれています(→こちら)。また、読谷村にある戦跡については(→こちら)がとても詳しいです。下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

 


私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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