芳魂之塔

伊江島は沖縄本島の本部港からフェリーで約30分の島で、美ら海水族館からもよく見えるので、知っている人は多いのではないかと思います。島の中央に、城山(ぐすくやま)という尖った山(標高172.2m)があり、目印になっています。

かつて沖縄戦では、この島にあった日本陸軍の飛行場を占領しようと、米軍が1945(昭和20)年4月16日に上陸し、激しい戦闘が繰り広げられました。島の住民も、女子救護班・女子協力隊・青年義勇隊などを編成して戦闘に参加し、多数の戦死者が出ました。また、島内のアハシャガマでは、爆雷による集団自決も起こっています。

芳魂之塔には、この島の戦没者約3,500人(守備軍将兵約2,000人と住民1,500人)が祀られています。当時のこの島の人口は7,000人ほどでしたが、多くの人が島外に避難していて、島に残っていたのは約3,000人だったと言われています。その半数が亡くなったことになります。

芳魂之塔

芳魂之塔

芳魂之塔

芳魂之塔


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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