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『女系図でみる驚きの日本史』(新潮新書)も読みました

この記事の続編です。

先日アップした『女系図でみる日本争乱史』はタイトルの通り「争乱」にスポットを当てていますが、この『女系図でみる驚きの日本史』は幅広くいろいろなトピックを女系図を使って読み解いています。

そのなかでも特に第四講と第五講で、紫式部や『源氏物語』に関連する話題を詳細に分析しているので、大河ドラマ「光る君へ」を楽しむためのとてもいい予習教材になります。『源氏物語』に関する著作がたくさんある大塚ひかりさんらしい一冊です。

紫式部に関連する内容の一部を紹介すると、

  • 紫式部の父親の藤原為時は長らく官職に就けずに中流貴族の悲哀を味わっていたが、名門・藤原北家の家系(したがって道長とも遠い親戚)であり、先祖には右大臣や中納言などの公卿を務めた人もいる上流貴族だった
  • かつては上流貴族だったのに今は受領階級に没落してしまった自らの境遇にコンプレックスを持っていた紫式部が、やがては上流貴族に返り咲くという逆転劇の夢を具現化したのが『源氏物語』である
  • 紫式部の娘の賢子(大弐三位)は、歌人及び女官として活躍し従三位まで栄進しており、その子孫の源在子は後鳥羽天皇の妃となり土御門天皇を生んでいる(→この血筋は今上天皇にまで続く)
  • 当時の女性は、特別な場合を除いて本名を明かさないので、「〜(父親)の女(むすめ)」「〜(夫)の妻」「〜(男の子供)の母」といった書き方で記録に残っているが、賢子(大弐三位)は当初は「紫式部の女」と記録されており、紫式部の名声がいかに高かったかが分かる(なお、「賢子」という名前がわかるのは、その後に彼女が天皇の乳母となり、従三位の位階についたから)
  • 紫式部の孫息子と清少納言の孫娘は恋人同士だったことが、後拾遺和歌集に収載されている歌から分かる
『女系図でみる驚きの日本史』

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