沖縄戦上陸碑(嘉手納町)

この記事この記事の続編です。

読谷村と北谷町の碑を紹介しましたが、今回は嘉手納町にある沖縄戦上陸碑です。1945(昭和20)年4月1日の朝、米軍はこの周辺一帯の海岸線から上陸しました。米軍の第一目標は北飛行場(後の読谷補助飛行場)と中飛行場(現在の米空軍嘉手納飛行場)でしたが、日本軍の主戦力は宜野湾以南にあり、水際での戦闘はごくわずかだったので、どちらの飛行場もその日のうちに占領されました。

沖縄戦上陸碑

米軍が上陸した海。
米軍が上陸した海


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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