Opinion

  • 2019年04月05日

    八十九式十五糎加農(カノン)砲

    八十九式十五糎加農(カノン)砲は、日中戦争や太平洋戦争に使われた日本陸軍の主力重加農です。この加農砲は、2003年に大里農村環境改善セ...

  • 2019年04月04日

    糸数アブチラガマ

    「ひめゆり学徒隊」に関するこの記事、この記事、この記事、この記事の続編です。 糸数アブチラガマは、元々は住民の避難壕でしたが、戦線の南...

  • 名城の貯水槽
    2019年04月03日

    名城の貯水槽の弾痕

    洋上の戦艦からの艦砲射撃や、地上での銃撃戦によってできた弾痕が、沖縄の街のいたるところに残っています。糸満市名城の県道3号線沿いにある...

  • 2019年04月02日

    伊覇のシーサー

    先日、富盛のシーサーを紹介しましたが、伊覇のシーサーにも弾痕があります。 下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数で...

  • 2019年03月31日

    真栄里アミヤ原の特攻艇掩体壕

    「特攻」と言えば零戦による「神風特攻隊」がよく知られていますが、ベニア板で作った特攻艇による水上特攻も行われていました。水上特攻の原則...

  • 2019年03月29日

    嘉手志川 灌漑整備記念の碑の機関銃痕

    糸満市大里にある嘉手志川(かでしがー)は、古くから周辺地域に恵みをもたらしてきた泉で、1930年から翌年にかけて泉を整備する灌漑整備事...

  • 2019年03月28日

    摩文仁のムラガー

    摩文仁の「平和祈念公園」の西の端にある「南冥の塔」の入り口付近からさらに細い道を海の方に降りて行くと、道の左手に井戸(チンガー)があり...

  • 2019年03月25日

    富盛の石彫大獅子(シーサー)の弾痕

    八重瀬町富盛の高台にある石彫大獅子(シーサー)には、痛々しいほどの銃撃の痕があります。どうしてこんなに弾痕があるのか、その理由が分かる...

  • 2019年03月23日

    バックナー中将慰霊碑(と思ったらクローディアス・M・イーズリー追悼碑)

    沖縄戦における日本の陸軍第32軍の司令官は牛島満ですが、米国の陸軍第10軍の司令官はサイモン・B・バックナーです。牛島司令官らの自決に...

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