Essey


Essay 「写真とは何か」

本稿はこのサイトを開設した1997年に、毎週一話ずつ順次アップしていったものです。



第1話 あれはいつからだろう

写真1

 写真を撮り始めたのはいつからだろう。数人の友達と関西本線の亀山機関区に行き、初めてファインダーを通して見える世界を体験した。小学校5年生のときだ。父親から借りた二眼レフを覗くと、あらゆるものが現実とは対称に見えた。フィルムの巻き上げとシャッターが連動していないので、二重写しの失敗もしでかした。撮り終えたフィルムをカメラ屋に持って行ったとき、そしてそれが出来上がってきたとき、あの時の興奮は今でも忘れない。

 そういえば、初めてフィルムを現像したときのあの甘美な緊張感も忘れられない。今でも定着が終わってタンクのふたを開けるとき、なかなか蓋が開かないときには(私が使っているのはステンレスタンク)、同じような感覚を味わう。こういったプロセスのひとつひとつに、写真を止められない秘密があるのかもしれない。
 それでも、大学を卒業し会社に勤めてから、ずっと長い間写真を撮ることはなかった。そんな余裕すらなかった。ただ流されるように毎日を過ごしていた。
 あれはいつからだろう。今、私の手の中にはカメラがある。再びカメラのファインダーの中の世界を垣間見て、再び現像中の甘美な緊張感を味わっている。そして今、確かにしっかりと地に足がついた自分を感じている。
 再び写真を撮り始めたら、昔私の頭を離れなかったあるテーマが、また私の頭の中に居座るようになった。写真を撮るということはどういうことなのか?それは、撮影者の意志とは関係なく、まったく新しい世界を創り出していることではないのか?この難しいテーマをこれから考えていきたい。



第2話 洞窟の中の懐中電灯

写真2

 私としては早く話をアッジェに持っていきたいのだけれど、それでは話がいきなり佳境に入ってしまう。じっと我慢して、次回以降ににつながるようなことを書こう。

 人間の知覚っていったいなんだろう。ものを認識するってどういうことなのだろう。いつも考え込んでしまう。一つ思い浮かぶのは、真っ暗な洞窟のなかを懐中電灯1本を頼りにさまよっているイメージだ。細い一筋の光によって照らし出された洞窟の壁だけが、われわれが知ることができる現実である。ちょう ど、目隠しをされた人が象の足に触っても、それが象という動物であると認識できないように、われわれの認識力はこの世の断片を垣間見ることができるにすぎない。

 認識のための道具は、別に懐中電灯に限るわけではない。杖だって頼りになる。ボッと周囲が明るくなるような照明弾を打つこともできるし、超音波探知器のような文明の利器を使うことだってできる。それぞれの方法によって得られる情報の多寡や精度が違うけれど、ここで重要なことは、いずれの方法においても生の現実を何かの切り口で切り取ってきているにすぎないことである。もっと言えば、それは生の現実とは別のものなのである。

 正確に本当の現実を把握したいという目的からすれば、これは非常に心もとないことである。しかし、もうお気づきのように、これによって別の楽しみが誕生する。新しい世界を出現させる魔法の箱、それはカメラである。



第3話 写真と元の風景との不思議な関係

写真3

 人間が世界を知覚することは、洞窟の壁面を懐中電灯で照らしているようなものだ。これは第2話で述べた。か細い光線に照らし出されたわずかな世界の断片を見て、人間は広い洞窟の全容を想像するしかない。つまり目に見えた生の映像だけでは知覚は成立せず、そのわずかな情報から全体を推し量る脳の働きによって、人は初めて世界を認識することができるのである。もっとも、その認識はほとんど間違っていて、わずか1%くらいはあっているという類のものであ る。

 さて、写真に写った風景を見るということは、どういうことなのだろう。写真は3次元の風景を2次元に変換してしまう。そして写真の表面にあるのは、細かな粒子だけである。それでも人の頭脳は、写真のなかに元の風景の特徴を見出して、写真と元の風景を関連づけることができるのである。言い換えれば、3次元→2次元の変換に対して、人の頭脳は互換性を有するのである。かくして人はAさんのポートレートを見て、「あ、これはAさんだ」と分かるのである。

 物を認識する場合、必ずこのような脳による解釈が働く。解釈の一定のパターンは、固定観念としてフィックスされることが多い。極端な場合、写真はある固定観念を呼び起こす引き金に過ぎないことさえある。「古都の風景」「農村の風景」「戦場の風景」……等である。これらの場合、写真は見る者に対して予定調和的なインパクトしか与えない。

 ところが、この世で一番細かい網をくぐりぬけてくる写真の画像は、時としてこの予定調和的な関係をぶち壊す。例えば上の写真。ディスプレーではうまく表示できないが、オリジナルプリントでは校庭の地面がまるで流砂現象のように揺れ動いているように感じる。 これは解釈を超えた生の感動である。おそらく、被写体の砂や土の粒子とフィルムの粒子の大きさとの微妙な関係によるのだろうが、いずれにしろ、揺れ動く砂という「新しい世界」がそこに出現している。そう、この「新しい世界の出現」こそ写真の醍醐味であると感じないか?



第4話 「意味」よりも先にやってくるもの

写真4

 写真によって写し出された世界は、元の世界の写像であると同時に、さらなる可能性を秘めた「新しい世界」である。

 第3話で述べたとおり、人間の脳は2次元に変換された像から元の被写体を思い起こすことができる。つまり画像が担っている「意味」を解釈することができるのである。この「意味」は、ある場合には、歴史的・政治的背景や個人の生い立ちにまで及ぶことがある。

 写真を見て「……がきれい」「……がかっこいい」と思う場合、我々は知らず知らずのうちに頭の中に固定された被写体に対するイメージに照らして、そう感じている場合が多い。極端な場合には、人々にすでにある一定の固定観念を呼び起こさせることが目的のような写真もある。

 しかし、このような「意味」が脳によって解釈されるよりも先に、もっと直接的な感覚が引き起こされることがある。それは反射的であるがゆえ に、「意味」よりも先にやってくる。写真を見た瞬間の雷に打たれたようなインパクト、これこそが「新しい世界」に触れた瞬間の生の感覚なのである。このような感覚を生み出す写真(それを作品と呼ぶ)をたくさん撮りたいと日ごろから思う。

 微視的に見れば、写真は細かな粒子の集まりであり、それ以上の何物でもない。この不連続な集合体が、人に新しいインパクトを与える(続いてなんらかの「意味」も与える)。「創発」とも呼ぶべき不思議な現象である。次号では、写真を撮ることは果たして芸術的行為と言えるのかどうかについて考えてみた い。



第5話 サルがたまたまシャッターを押したら

写真5

 ピアノは聴く芸術だと言ったジャズピアニストがいる。なんだか分かるような気がする。その言葉を借りるならば、写真こそ見る芸術である。

 よく、カメラ雑誌や写真展で「自分の想いを写し込む」なんて言葉に出くわすことがあるが、どうやってそんなことができるの聞きたいものである。少なくとも私には無理である。 

 他の芸術、例えば小説なら記号としての文字に自分の想いを託すことはある程度可能だろう(もっとも読み手がそのとおり解釈してくれる保証はどこにもないが)。絵画も、絵の具のひと塗りひと塗りに自分の表現の可能性が広がっている。ところが、写真はどうだろう。撮影者がいろいろ工夫できる余地は極めて少ない。むしろ、撮影者の意図を飛び越えて、「新しい世界」が出現してしまうところに写真の大きな特徴がある。

 もちろん、撮影者はフィルムを選び、レンズを選び、構図を決め、シャッターチャンスを待つことができる。熟達したカメラマンなら、ファインダーを覗いただけで出来上がりのプリントを頭のなかに描くこともできる。それにも関わらず、やはり撮影者の行動は「新しい世界」が出現するためのきっかけ作りにすぎないのだ。

 それならば、「サルがたまたまシャッターを押して出来た写真でも芸術と言えるのか」。聞き飽きた質問である。私は「結果として『新しい世界』が出現しているならYESだ」と答える。

 それならば、「なぜ特定の被写体に向かってシャッターを切るのか。そこになんの意図もないのか」。意図と言えるようなものがあるとすれば「ここでシャッターを切れば、『新しい世界』が出現するだろうと予感したからだ」としか答えられない。フィルム選びも、レンズ選びも、構図も、シャッターチャンス も、そのための条件づくりでしかないのだ。

写真は見る芸術である。特に撮影者には、現像液のなかから徐々に出現してくる「新しい世界」をこの世で最初に鑑賞する権利がある。これは大いなる特権である。



第6話 創発する世界

写真6

 頭が痛くなりそうな話が続きすぎた。このへんで一応のまとめをして、次の話題に進まないとみんな逃げていきそうである。

 第2話で書いたように、人間は360度闇が広がる洞窟の中で、か細い一条の懐中電灯の光だけを頼りに世界を知覚する。人間の知覚はそんな頼りないものである。まるで目隠しをされたまま巨大な象の足に触り、この物体はなにかと問われているようなもので、人間は現実の世界のごく断片を垣間見ているにすぎない。例えばとんぼの目が見た世界や、蜂の目が見た世界や、犬の目が見た世界がそれぞれまったく違うように、人間の目が見た世界も人間という種に固有のものである。もっと言えば人間同士でさえ、私の見ている世界と、別の人が見ている世界が同じだという保証はどこにもない。ただ、同じものを指して、同じ固有名詞で呼び合っているにすぎない。私にとっての赤と、別の人にとっての赤が同じだという保証もどこにもない。ただ、各人にとって特定の色に見えるそういう色を赤と呼び合っているにすぎない。 

 それでは、「撮影された写真を見る」という行為はどう考えればいいのだろうか。最後に目で見るという過程が入る以上、これは普通の風景を見ることとなんら変わりはないが、「写真に写る」という純粋に化学的反応な過程がそこに介在する。つまり、化学的変換→生物的・個人的変換の2つの過程を経て写真は知覚される。これはごくあたりまえで、あえて言う必要もないことである。

 しかし、「写真に写る」という反応にもっと着目すると、これは容易ならぬ反応であることが分かる。まず、その圧倒的な情報量である。35mmのフィルムでさえ、正しく現像すれば極めて微粒子の画像が得られる。まして4×5インチや8×10インチの大判カメラなら、そこに驚異的な点を押し込めることが可能である(早くパソコンのディスプレーがこれに対応してくれることを切に望むが)。第二に、写真は時間を閉じ込めることができる。これは一瞬一瞬に 消えていく知覚の対して決定的に違う点である。今世紀初めにアッジェによって写し込まれたパリの街を、今私は確実に見ることができるのである。

 写真の上の一つ一つの粒子から反射された光は人間の網膜に届く。そして視神経を通って脳に伝えられる。専門家ではないのではっきりしたことは言えないが、脳における情報処理には二つのレベルがあるのではないかと思う。一つは物体の大きさ・形状・表面の状態など「存在」を認知するレベル。これは動物としての本能に由来する原始的なレベルの知覚である。もう一つはこれまでの体験や知識に照らして、対象の「意味」を認識するレベルである。

 そして、私が「新しい世界の出現」と呼んでいる感覚は、この第一の原始的レベルの知覚に属するものである。写真上の粒子は、一つ一つの物理的な点 にすぎない。ところがそれが脳で知覚されると、見る人の神経系統を興奮させ、血流や体温にまで影響を及ぼすことがある。あるいは、その人の社会的行動を通して、世の中に影響をもたらすようなことになるかもしれない。このような「バタフライ効果」が写真の映像を引き金にして起きることを考えると、これは最近 「複雑系の科学」の分野でしきりに言われている「創発」という現象だと言えなくもない。

 「複雑系」とはごく大雑把に言えば、「個々の要素の個別のふるまいが、その局所的な相互作用の積み重ねを通して、より大局的な現象を引き起こすような性質、あるいはそれが起きている場」ということができる。そして、そのような大局的な現象のことを「創発」という。写真を通じて起こる「創発」は、暗闇の中をさまよう私にとって、もう一条の懐中電灯の光なのである。

 頭が痛くなる話が続きすぎたようだ。話題を変えて次号からは、私に大きなショックを与えたアッジェの写真について書いていこうと思う。



第7話 アッジェの写真との出会い

写真7

 「美術家のための資料」、アッジェのアパートのドアにはこんな看板が掲げれられていたという。船員、役者などを経て、40歳を過ぎるころに写真家になったアッジェは、1900年代初めのパリの街並を撮り、それを画家に売って生計を立てていた。彼の写真を買った画家のなかには、ユトリロ、ピカソ、ブラマンクなどもいたという。いったいアッジェはどんな気持ちで写真を撮りつづけたのだろいうか。自分の写真が閉じ込めた驚くべき世界に気づかずに、ただ生 業として写真を撮り続けたのだろうか。

 最晩年、彼の写真はマン・レイを中心とするシュールレアリズムの画家たちに認められる。そして「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙をアッジェの写真が飾ることになる。彼の死の前年のことである。自分の写真がなぜこんなに注目されることになったのか、アッジェ自身は分かっていたのだろうか?そのあたりの事実には詳しくない。しかし敢えて調べようという気にはならない。私にとって、ただアッジェの写真が現在もなお存在していて、見ようと思えば見ることができるという、その事実だけで十分である。

 アッジェの写真に写し出されたパリの街並は、どれも圧倒的な存在感をもって見る者の前に立ち現れる。その存在感と対峙したとき人は、人間が建造したはずの建物があたかも一個の独立した主体であるかのような錯覚に襲われる。それは「考える葦」=思唯する自我として自然を超越したはずの人間に対して、自然が「いや、そうではないのだ」と薄ら笑いをしているようでもある。

 おそらくアッジェ自身は、そんなことはおかまいなしに、ただ「資料」として、黙々と写真を撮りつづけたに違いない。なんの作為も邪念もなく、ましてや人に伝えたい思想もなく、真っ白な気持ちで被写体に臨んだからこそ、アッジェは新たな世界を写し込むことができたに違いない。

 私がアッジェの写真に初めて接したのは、大学1年の時である。それにしても、今世紀初めに現像液の中から出現した驚くべき世界を、我々は現在もなお見ることができる。これはなんと幸運なことだろう。

 

Eugene Atget (1857-1927)
◆1900年代初めのパリの街並みを撮影し、画家に画材として売って生計を立てていた。晩年になってマン・レイをはじめとするシュールレアリストに認められ、アッジェの写真が「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙を飾ることになる。画家のための題材として黙々と撮り続けたアッジェの写真は、その中におそるべき世界を閉じ込めている。



第8話 アッジェの大判カメラ

写真8

 1900年代初めの写真技術というと、まずフィルムの感度が低いので長時間の露出を必要とし、カメラのレンズも特に画面周辺部で歪みが大きくて、 そういった点を現在の写真と比べれば、大いに見劣りする。ところが一つだけ35mm中心の現在の写真に勝る点がある。それは18×24センチというとてつもなく大きいフィルムに像を結ぶということである。

 前にも書いたと思うが、写真は一番細かい網を通りぬけて像を結んだ芸術である。そして、その特性を最大限に活かすことができるのが大判カメラである。創発する可能性がある被写体を見つけたなら、シャッターを切って、後は自然の力に任せる……、このスタンスについてはすでに書いてきた。この時に大判カメラの巨大なフィルムは、自然の力をしっかりと受け止めてくれる。創発の可能性をより高いものにしてくれるのである。

 大判カメラで撮影された何百もの人物が写っている集合写真を見たことがあるだろうか。何百人のなかの一人一人の顔までも鮮明に写し出された、 そのすさまじい描写力に鳥肌がたったことが何度もある。カメラが設置された場所に立って、何百人をながめてみても、このような視覚は得られないだろう。この視覚は、大判カメラという最も細かい網を通した場合にだけ成立するのである。

 アッジェの写真のいくつかには、かすかに人の脚の一部だけが写っていたりする。おそらく誰かがそこで一瞬立ち止まったのであろう。動くものがほとんど捨象されたパリの街は、現実には存在しない沈黙の世界である。それは1900年代初めのパリの街が数十秒間(あるいは数分間)反射した光が作り出したまったく新しい世界である。



第9話 『決闘写真論』(その1)

写真9

 篠山紀信と中平卓馬の『決闘写真論』は、『アサヒカメラ』に1年間連載されたあと、 1977年に単行本として出版された。現在はその文庫版が、朝日文庫から出版されている。中平卓馬が力のこもった文章で「アッジェ論」「ウォーカーエバンス論」を展開していくのに対して、篠山紀信は「家」「晴れた日」などの代表作でこれに応じている。 

 私のつたない文章を長々と連ねるよりも、さっそく本文から引用しよう。


アッジェの映像はそのような私の思い出、情緒を最後の最後で突き放し、街は街として、事物は事物として冷ややかに私を凝視している。そこには、私による意味づけ、情緒化の入り込むすきはない。私の記憶にまといつき、しかもそれを最終的には突き放してしまう一種の捻れ。このような牽引と突き放し=異化の中天にアッジェの一連の写真はさしかかっている。おそらくアッジェの写真の最大の特徴はそのあたりにある。

 アッジェの写真には特別なもの、異様なものは何も写されてはいない。それらは洋服屋の店先に並べられた帽子の群れであったり、古着屋の軒先に吊るされたワイシャツ、ズボン、革靴であったり、ヴェルサイユ宮殿の石像であたり、八百屋の店先に積み上げられたレタス、キャベツ、ネギ、何本かの花であったりする。それらはそれ自体なんということはない、われわれの眼に親しんだものばかりである。にもかかわらず、このようにフィルムに定着され、印刷された事物のひとつひとつは、それらを眼が辿ってゆけばゆくほどゆっくりとその視線の向こう側に後退してゆくのだ。それは日常的なものから異常な ものへの移行ではない。「同じもの」でありながら同時に「異なるもの」に見え始めるとでも言う他はない。それがアッジェの視線のなせるわざなのか、それともそれを見つめる私の視線のなせるわざなのか。たぶんその共同作業であろう。
引用:『決闘写真論』篠山紀信・中平卓馬著(朝日文庫)

 何の意図も思い入れもなく、ただ資料としてパリの街を写し続けたアッジェ。その映像がわれわれにどんな世界を残してくれたのか。中平卓馬の文章は、それを教えてくれる。



第10話 『決闘写真論』(その2)

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 前号に引き続いて、『決闘写真論』について書きたい。いきなり中平卓馬の文章の引用から始めよう。

 J・リカルドウがどこかで、およそ次のように書いていたのを思い出す。写実主義者たちは現実を見ようとしない。彼らは意味としての現実を見るにすぎない。だが、リアリズムとは一本の樹をいま、ここで、眺めることによって、いままで持っていた樹木という意味を眼の前でゆるやかに崩壊させてゆき、一本のいままで見たこともない樹をそこに見出すことだ、と。リカルドウは文学のリアリズム批判としてこの文章を書いた。しかしこの言葉はやはり写真についても多くのことを示唆している。意味としての現実、それは解読格子を通された、濾過された現実である。つまり現実ではない。概念としての現実である。旧態然としたリアリズムはこの概念に一点の疑いもさしはさみはしない。それは現状維持を指向する、まさしく保守的な意識である。

 われわれが日頃目にするおびただしい映像の量、それらはいかに多種多様に見えようとも、しかしそこには眼に見えぬコードが、価値の体系が、美の体系、制度が貫かれている。ただその表層的な別形=バリアントを競い合っているにすぎないとも言える。
引用:『決闘写真論』篠山紀信・中平卓馬著(朝日文庫)

 リアリズム……、それはいったい何に対するリアリズムなのだろうか?われわれが対象物に対して既に持っている意味に対してだろうか。それとも物質としての対象物そのものに対してであろうか。なにか肝心要のところがきちんと定義されないまま、リアリズムという言葉が独り歩きしているように思う。

 もっと言ってしまえば……。リアルであるということは、本当に意義のあることだろうか?たしかに写真というプロセスでは、被写体が鋳型となって (つまり光を反射して)、フィルム面に像を結ぶ。しかし結ばれた像は、元の被写体とはおよそ似つかない銀の粒子の集合にすぎない。人間の賢すぎる脳が、その形と被写体との関係性を見つけ出してしまうだけである。

 中平は、既成の意味と写真の映像との大きなギャップを「捻れ」と言っている。「捻れ」に対して彼は強い不安を感じたが、私の場合は楽観的な性格のためか、むしろファンタスティックな驚きを感じる。それは顕微鏡を覗いたときの驚きに共通する感覚である。なぜならそこに新しい世界が見えるからである。



第11話 二つの虚構

写真11

 アッジェの姿を現在に残す写真としては、アボット女史が写したポートレートが有名である。とがった顔立ちのその横顔は、どこかはわからぬが中空を見つめている。

 このような写真を見ると、写真のもつ記録性の側面を思わずにはいられない。写真は「似て非なるもの」であると言い続けてきた私としては、実に分の悪い展開である。「似て」の部分が写真の記録性を支えている。

しかしである。ここでまた、「似て」とは何に似ているということなのだろうか。写真の像が似ていると比較される対象は、われわれの記憶のなかにあるイメージの残像である。そしてこれは、物質としての世界がはね返した光を網膜が捉え、それを脳が情報処理した結果に過ぎない。写真が虚構であるのと同じように、われわれの知覚した世界も虚構なのである。一つの虚構にもう一つの虚構を似せようと努力すること、それがリアリズムである、と言ってしまっては極論だろうか?

それならば……。そう、それが繰り返し言ってきたテーマである。「似て」ではなく、「非なる」の部分を、しかもそれが写真の特性ゆえに自然に生まれてくる部分を、そのままに受け入れることが重要なのではないだろうか。少なくとも、一つの方向性として、注目すべき視点であると私は確信する。

アッジェの写真の圧倒的な存在感。中平卓馬が「捻れ」と呼んだ不安感。それは知覚と写真という二つの虚構の「非なる」部分から生まれているに違いない。



第12話 面を写す

写真12

 初めて訪れた場所では、ものめずらしさが先に立って、たくさんフィルムを消費してしまう。写し終わった時点では「いい写真が撮れた」という手応えが充分あるが、いざフィルムを現像してみるとがっかりすることがほとんどである。そういう写し方を振り返って気づくのは、被写体の外観しか見ずにシャッターを切ってしまっているということだ。形の面白さや目新しさに喜んで、思わずシャッターを切っていることが多い。

 一方、自宅の周りのいつも見慣れた風景を切り取るときは、ものの形よりもむしろ面を見ていることが多いような気がする。ものはなんらかの面を持っている。そのもの自体の表面の質感がある。しかし写真に写し出される面は、もちろん銀に粒子であり、フィルムの粒状性によってものの質感は大きく変わる。 そういう意味では、被写体はあくまでも光を反射する鋳型であると言うことができるかもしれない。

 このページのページの写真は、垂れ下がった日よけの面にできたしわの質感がなんとも心地よくて、自分ではすごく好きな一枚である。他には このエッセイの第3話の砂の地面が、流砂現象のように動いてみえるのが好きである(PCの画面の解像度では分かりにくいのが残念)。被写体の砂の粒子とフィルム上の銀の粒子の大きさや重なり具合の微妙な関係によって、砂が動いて見えるのだろう。

 いずれにしても、私は面を見て、それになにかを感じて写しているようだ。低感度の微粒子フィルムを希釈現像するというパターンも、面を写し込みたいからである。



第13話 なぜカメラを向けるのか

写真13

 『写真のプロセスにおいて作者はただ「新しい世界の出現」に手助けするだけだ』と、今までさんざん書いてきた。第1章の第5話 「サルがたまたまシャッターを押したら」では、「それでも新しい世界が出現していれば芸術である」と書いた。それなら、被写体を撮ろうと思ってカメラを構える作者の行為は、いったいどんな意味をもつのだろう。写真を撮るという行為自体、なんの意味も持たないのだろうか?

自分が写真を撮る場面を思い起こしてみたい。カメラのファインダーを覗くと、出来上がりの白黒写真のイメージがかなりのところまで見えてくる。そんなふうに書くと、それは「新しい世界の創造」という観点とは矛盾するように感じられるかもしれない。思いもよらない世界が誕生するから芸術じゃないのか、という反論が飛んできそうである。

 しかし、これはいままでの議論と矛盾しない。ファインダーを覗いて見えてくるのは、新しい世界の出現(=創発)の予感、あるいは創発が起きるための土台なのである。だから私は「今シャッターを切れば創発が起きるかもしれない」という予感を抱いてシャッターを切る。それが撮影という行為なのである。

 そして、出来上がった写真を見たときに、ファインダーを覗いたときのイメージがほぼそのまま再現されているだけで、それ以上のものがなかったら、それは凡作として終わる。もし、最初のイメージを超えた何物か出現していたならば、優れた作品が出来上がったということになる。

 つまり撮影における創造性とは、創発の起きる可能性を見出して、その条件をできるかぎり整えてシャッターを切ることだと、私は考えるのである。



第14話 微粒子現像にこだわる

 昔から、とにかく微粒子現像だけには力を注いできた。学生時代は、パナトミックXをマイクロドール1:3希釈で現像するのが常套手段だった。その後かなり長い間TMAX・100をTMAX現像液1:5希釈で現像していたが、どうもイマイチなので、最近はミクロファイン1:3希釈に落ち着いている。できるだけ現像液の力を弱めて、フィルムの表面の浅い層だけを現像しよう、できるだけ粒子が成長する前に現像を止めようという作戦である。もうこれ以上薄いと、コントラストが出なくて焼くことができないという限界まで薄いネガを作る。

 私にとって、微粒子現像は「新しい世界の出現」のための、最も重要な前提条件である。微粒子現像が成功しなければ、なにひとつ新しい世界は現れてこないと言っても言い過ぎではない。

本 来、大判カメラを使えば、微粒子現像にこだわらなくても微粒子の画面は簡単に得られる。何百人もの人が写しだされた集合写真のなかから、ただ一人の人物が 鮮鋭に認識できるような圧倒的な情報量は、大判カメラゆえの神業である。この情報量ゆえに、写真は芸術性を確保している……、と少なくとも私は考えている。

 しかしその反面、大判カメラの最大の欠点は機動力である。街中を歩きまわり、目に留まった被写体の一瞬の変化を写してしまう、これができるのは、やはり35mmカメラである。それならば、35mmの小さなフィルムに、より高密度に画像を押し込むしかないではないか……と、私は微粒子現像にこだわる のである。



第15話 広角は標準レンズ?

 このホームページに掲載されている写真のほとんどは、24mmか28mmの広角レンズで撮影されている。かといって、標準レンズや望遠レンズは全然使わないというわけではない。ただ、自分の作品を撮ろうとするときには、必ず広角レンズを使う。

広角レンズを使い始めたのは大学1年の頃からである。写真部の先輩から、「人間の視角に一番近いのは28mmだ」と言われたのがきっかけだ。確かに、一点を注視するときは別として、ぼーっとあたりを眺めている時の人間の視角はかなり広角である。実際に自分が28mmで写した写真を見てみると、撮影時に感じたパースペクティブに極めて近い。そうやって、28mmを使い始めると、いつのまにか、他のレンズではちゃんとした写真を写すことができなくなってしまった。

 実は、このことについて、今までの14話のような調子で、こうだと断定的に言い切れるだけの根拠が思い当たらない。しかし、ひとつだけ思い当たることがある。もし、何がなんでも新しい世界を作り出そうというのなら、超望遠レンズや魚眼レンズや、あるいは顕微鏡を使えばいい。それらのレンズによって 得られる映像そのものが、すでに新しい世界である。しかし、それは私の追い求めるものではない。日常的な見慣れた事物のなかに突然現れるまったく別の感覚、それこそが私が「新しい世界」と呼ぶものである。 第13話で書いた「創発の起きる予感」は、まさにこのことを言っているのである。

 肉眼の視野により近いレンズによって切り取られる日常的な視覚。それを生み出すことができるレンズだから、私は広角レンズを多用するようになったのだと、自分では思っている。



第16話 時を止める

 写真に写っている建物が取り壊されて、街の様子がすっかり変わってしまっていることがある。写真は、何十分の一秒、何百分の一秒の瞬間を銀の粒子に固定する。そして、それがきちんと保存される限り、その映像は百年でも存在し続ける。たとえ、写し出された街並みがすっかり変わってしまっても……。

 第4話で は写真を見るときの二つのインパクトについて書いた。「意味よりも先にやってくる生の感覚」と「人間の解釈による意味」である。時間を超えて残る写真の映像は、この二つの可能性を長く留保し続ける。そしてこの文章では、第一の「意味よりも先にやってくる生の感覚」の意義を強調してきた。優れた作品は、このインパクトを後世の無数の鑑賞者たちに繰り返し繰り返し与え続ける。

 ただ、時間の経過とともに、写真の持つ「意味」も変化していくことに注意しなければならない。アッジェの写真に写しだされた20世紀初頭のパリの街並みは、当時を残すものとして、その「記録性」ゆえに大きな意味を持つ。アボット女史が写したアッジェのポートレートは、私たちに本当なら知るよしもないアッジェの風貌を伝えてくれる。

 普段、私たちはあまり深く考えずにシャッターを切り、「時を止める」というその行為の重大さには気づいていない。たとえそれが、この世界のごく限られた断片にすぎないにしても……。



第17話 再び洞窟の中の懐中電灯

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例えば電子は、粒子でもあり波でもあるという。原子核の周りに雲のように存在し、ある瞬間に特定の場所に存在するというのではない。あらゆる場所に同時に(確率的に)存在するのだという。素粒子のこのような不可思議な振る舞いを説明するためには、この世界と平行して存在する別の世界がなければならないという学説がある。第2話・ 洞窟の中の懐中電灯では、この世界がとほうもなく広大な空間をもつ洞窟のようだと書いた。さらに加えるならば、その空間は我々が考える以上にもっと多元的で重層的な構造を持っているようである。

そして、我々の理解を超えたその空間を突き抜けて飛んでくるもの、それが光である。光は、三次元の世界の生物である我々には知るよしもない違う次元の空間をも超えて飛んでくる。それは粒子でもあり波でもある。ということは、おそらく、我々には分からないだけで、光は未知の世界から発信された情報を運んでいるに違いない。

このエッセイでは、写真が生み出す「新しい世界」の可能性について書いてきた。撮影者は、「新しい世界」が出現する条件づくりをある程度できるにしても、最後のところでは、光と被写体とそして感光剤との複雑な相互作用にすべてを委ねるしかない。その結果、うまくいけば、撮影者の予想をはるかに超越した「新しい世界」が出現するのである。

人間が作り出す多くの人工物は、人間によって制御され、管理されて生み出される。したがって、それらは人間の思考の枠を超えることはできない。人間が制御し管理することができない、まさに世界そのものの力によって作り出される写真を、これからも撮り続けたいと思う。

Copyright © 1997 Hiroshi Akatsuka. All rights reserved.


【追記(2017年11月22日)】
「第9話」「第10話」「第11話」あたりに書いているアッジェの写真の圧倒的な存在感、そして中平卓馬が『決闘写真論』で「捻れ」と呼んだ不安感、これらを表現するとてもいい言葉が見つかりました。それは「超越者の視座」です。アジェの写真を見ると、人間の頭の中にある既存のイメージやコンセプトを超えて、今までにない全く新しい印象が湧き出てきます。私は無神論者ですが、それはあたかも神の目に見えている世界のように感じられます。私が自分の撮った写真を「スナップ」と「作品」に分ける基準は、その写真に「超越者の視座」が感じられるかどうかです。