「写真とは何か」 第3話 写真と元の風景との不思議な関係

写真3

 人間が世界を知覚することは、洞窟の壁面を懐中電灯で照らしているようなものだ。これは第2話で述べた。か細い光線に照らし出されたわずかな世界の断片を見て、人間は広い洞窟の全容を想像するしかない。つまり目に見えた生の映像だけでは知覚は成立せず、そのわずかな情報から全体を推し量る脳の働きによって、人は初めて世界を認識することができるのである。もっとも、その認識はほとんど間違っていて、わずか1%くらいはあっているという類のものであ る。

 さて、写真に写った風景を見るということは、どういうことなのだろう。写真は3次元の風景を2次元に変換してしまう。そして写真の表面にあるのは、細かな粒子だけである。それでも人の頭脳は、写真のなかに元の風景の特徴を見出して、写真と元の風景を関連づけることができるのである。言い換えれば、3次元→2次元の変換に対して、人の頭脳は互換性を有するのである。かくして人はAさんのポートレートを見て、「あ、これはAさんだ」と分かるのである。

 物を認識する場合、必ずこのような脳による解釈が働く。解釈の一定のパターンは、固定観念としてフィックスされることが多い。極端な場合、写真はある固定観念を呼び起こす引き金に過ぎないことさえある。「古都の風景」「農村の風景」「戦場の風景」……等である。これらの場合、写真は見る者に対して予定調和的なインパクトしか与えない。

 ところが、この世で一番細かい網をくぐりぬけてくる写真の画像は、時としてこの予定調和的な関係をぶち壊す。例えば上の写真。ディスプレーではうまく表示できないが、オリジナルプリントでは校庭の地面がまるで流砂現象のように揺れ動いているように感じる。 これは解釈を超えた生の感動である。おそらく、被写体の砂や土の粒子とフィルムの粒子の大きさとの微妙な関係によるのだろうが、いずれにしろ、揺れ動く砂という「新しい世界」がそこに出現している。そう、この「新しい世界の出現」こそ写真の醍醐味であると感じないか?

2013-10-20|タグ:
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