「写真とは何か」 第12話 面を写す

写真12

 初めて訪れた場所では、ものめずらしさが先に立って、たくさんフィルムを消費してしまう。写し終わった時点では「いい写真が撮れた」という手応えが充分あるが、いざフィルムを現像してみるとがっかりすることがほとんどである。そういう写し方を振り返って気づくのは、被写体の外観しか見ずにシャッターを切ってしまっているということだ。形の面白さや目新しさに喜んで、思わずシャッターを切っていることが多い。

 一方、自宅の周りのいつも見慣れた風景を切り取るときは、ものの形よりもむしろ面を見ていることが多いような気がする。ものはなんらかの面を持っている。そのもの自体の表面の質感がある。しかし写真に写し出される面は、もちろん銀に粒子であり、フィルムの粒状性によってものの質感は大きく変わる。 そういう意味では、被写体はあくまでも光を反射する鋳型であると言うことができるかもしれない。

 このページのページの写真は、垂れ下がった日よけの面にできたしわの質感がなんとも心地よくて、自分ではすごく好きな一枚である。他には このエッセイの第3話の砂の地面が、流砂現象のように動いてみえるのが好きである(PCの画面の解像度では分かりにくいのが残念)。被写体の砂の粒子とフィルム上の銀の粒子の大きさや重なり具合の微妙な関係によって、砂が動いて見えるのだろう。

 いずれにしても、私は面を見て、それになにかを感じて写しているようだ。低感度の微粒子フィルムを希釈現像するというパターンも、面を写し込みたいからである。

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