「写真とは何か」 第5話 サルがたまたまシャッターを押したら

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写真5

 ピアノは聴く芸術だと言ったジャズピアニストがいる。なんだか分かるような気がする。その言葉を借りるならば、写真こそ見る芸術である。

 よく、カメラ雑誌や写真展で「自分の想いを写し込む」なんて言葉に出くわすことがあるが、どうやってそんなことができるの聞きたいものである。少なくとも私には無理である。 

 他の芸術、例えば小説なら記号としての文字に自分の想いを託すことはある程度可能だろう(もっとも読み手がそのとおり解釈してくれる保証はどこにもないが)。絵画も、絵の具のひと塗りひと塗りに自分の表現の可能性が広がっている。ところが、写真はどうだろう。撮影者がいろいろ工夫できる余地は極めて少ない。むしろ、撮影者の意図を飛び越えて、「新しい世界」が出現してしまうところに写真の大きな特徴がある。

 もちろん、撮影者はフィルムを選び、レンズを選び、構図を決め、シャッターチャンスを待つことができる。熟達したカメラマンなら、ファインダーを覗いただけで出来上がりのプリントを頭のなかに描くこともできる。それにも関わらず、やはり撮影者の行動は「新しい世界」が出現するためのきっかけ作りにすぎないのだ。

 それならば、「サルがたまたまシャッターを押して出来た写真でも芸術と言えるのか」。聞き飽きた質問である。私は「結果として『新しい世界』が出現しているならYESだ」と答える。

 それならば、「なぜ特定の被写体に向かってシャッターを切るのか。そこになんの意図もないのか」。意図と言えるようなものがあるとすれば「ここでシャッターを切れば、『新しい世界』が出現するだろうと予感したからだ」としか答えられない。フィルム選びも、レンズ選びも、構図も、シャッターチャンス も、そのための条件づくりでしかないのだ。

写真は見る芸術である。特に撮影者には、現像液のなかから徐々に出現してくる「新しい世界」をこの世で最初に鑑賞する権利がある。これは大いなる特権である。

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