「写真とは何か」 第7話 アッジェの写真との出会い

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 「美術家のための資料」、アッジェのアパートのドアにはこんな看板が掲げれられていたという。船員、役者などを経て、40歳を過ぎるころに写真家になったアッジェは、1900年代初めのパリの街並を撮り、それを画家に売って生計を立てていた。彼の写真を買った画家のなかには、ユトリロ、ピカソ、ブラマンクなどもいたという。いったいアッジェはどんな気持ちで写真を撮りつづけたのだろいうか。自分の写真が閉じ込めた驚くべき世界に気づかずに、ただ生 業として写真を撮り続けたのだろうか。

 最晩年、彼の写真はマン・レイを中心とするシュールレアリズムの画家たちに認められる。そして「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙をアッジェの写真が飾ることになる。彼の死の前年のことである。自分の写真がなぜこんなに注目されることになったのか、アッジェ自身は分かっていたのだろうか?そのあたりの事実には詳しくない。しかし敢えて調べようという気にはならない。私にとって、ただアッジェの写真が現在もなお存在していて、見ようと思えば見ることができるという、その事実だけで十分である。

 アッジェの写真に写し出されたパリの街並は、どれも圧倒的な存在感をもって見る者の前に立ち現れる。その存在感と対峙したとき人は、人間が建造したはずの建物があたかも一個の独立した主体であるかのような錯覚に襲われる。それは「考える葦」=思唯する自我として自然を超越したはずの人間に対して、自然が「いや、そうではないのだ」と薄ら笑いをしているようでもある。

 おそらくアッジェ自身は、そんなことはおかまいなしに、ただ「資料」として、黙々と写真を撮りつづけたに違いない。なんの作為も邪念もなく、ましてや人に伝えたい思想もなく、真っ白な気持ちで被写体に臨んだからこそ、アッジェは新たな世界を写し込むことができたに違いない。

 私がアッジェの写真に初めて接したのは、大学1年の時である。それにしても、今世紀初めに現像液の中から出現した驚くべき世界を、我々は現在もなお見ることができる。これはなんと幸運なことだろう。

 

Eugene Atget (1857-1927)
◆1900年代初めのパリの街並みを撮影し、画家に画材として売って生計を立てていた。晩年になってマン・レイをはじめとするシュールレアリストに認められ、アッジェの写真が「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙を飾ることになる。画家のための題材として黙々と撮り続けたアッジェの写真は、その中におそるべき世界を閉じ込めている。

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