糸数アブチラガマ

ひめゆり学徒隊」に関するこの記事この記事この記事この記事の続編です。

糸数アブチラガマは、元々は住民の避難壕でしたが、戦線の南下に伴って南風原陸軍病院の分室になり、「ひめゆり学徒隊」の一部も看護補助の任務で配置されました。壕内には600名以上の負傷兵が収容されていたそうです。私が訪れた時間が遅かったので、壕の中を見学することはできませんでした。

糸数アブチラガマ

糸数アブチラガマ


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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