白梅学徒看護隊自決之壕

白梅学徒隊」に関するこの記事この記事この記事の続編です。

前回2018年1月に「白梅之塔」を訪ねた時には、旅行のスケジュールが押していたことや、私の予習不足から、「白梅之塔」のすぐ近くにある「白梅学徒看護隊自決之壕」を訪ねることなく、1948年に建てられた元々の「白梅之塔」にも気づかずに帰ってきてしまいました。

「白梅学徒隊」は、沖縄県立第二高等女学校の4年生46名で構成された学徒隊で、八重瀬岳中腹の第24師団第一野戦病院などに配置されていました。戦局の悪化により、6月4日に突如「解散命令」が下されると、学徒たちは敵弾が飛び交う戦場を南に避難しました。このうち16名は、糸満市国吉のこの場所に後退してきていた野戦病院に合流しましたが、ここでも6月21日から22日に米軍から激しい攻撃を受け、まだ十代後半の若い学徒たちは、この壕の中で自決しました。

階段があり、壕の中に入って行けます。
白梅学徒看護隊自決之壕

階段を降りたところ。これで行き止まりではなく、この右手奥に鍾乳洞の入り口があります。
白梅学徒看護隊自決之壕

壕の中から地上の入り口を見上げる。この入り口から米軍の攻撃を受けたそうです。
白梅学徒看護隊自決之壕

壕の周りの風景。
壕の周りの風景

この立派な塔はのちに建てられたもので……。
新しい白梅之塔

これが1948年に建てられた元々の「白梅之塔」。風雨によって浸食されていますが、かすかに字が読めます。
白梅之塔


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください