白梅学徒看護隊之壕

沖縄戦に動員された女学生の学徒隊のなかでは「ひめゆり学徒隊」が特に有名ですが、他にも「白梅学徒隊」「なごらん学徒隊」「瑞泉学徒隊」「積徳学徒隊」「悌梧学徒隊」「宮古高女学徒隊」「八重山高女学徒隊」「八重農学徒隊」が編成されています。

「白梅学徒隊」は沖縄県立第二高等女学校の4年生によって編成された学徒隊で、1945年3月6日に56名が東風平国民学校に本部を置く第24師団衛生看護教育隊に入隊した後、46名が八重瀬岳中腹にある第24師団第一野戦病院(山3486部隊)に配属されました。5月上旬には、その一部が一番下の写真⑤の新城分院(ヌヌマチガマ・ガラビガマ)(→こちらの記事)や、⑥の東風平分院にも配置されいます。学徒隊員の任務は、手術や処置の際の明かり(ろうそく)持ち、本部壕からの飯上げ、負傷兵の食事の世話や排泄物の始末、切断された手足の処理などだったそうです。

崩落の危険があるので、壕の中へは入れません。
壕の入り口

その後、戦況の悪化により、6月4日に解散命令が下され、学徒たちは数名ずつに分かれて南部へと逃げます。糸満市の国吉に後退した第24師団第一野戦病院壕に迎えられた学徒も、6月21日から22日にかけての米軍の攻撃によって多数が犠牲になりました。その場所に「白梅の塔」が建てられています(→こちら)。46名の学徒のうち、実に22名が戦死しました。


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した沖縄戦の死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

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