【東京の戦跡】中島飛行機武蔵製作所関連の戦跡

第二次世界大戦中、現在の武蔵野中央公園(グリーンパーク)から武蔵野市役所・武蔵野陸上競技場にかけての広大な敷地に中島飛行機の武蔵製作所があって、零戦のエンジンなどを作っていました。また、武蔵境駅から物資の輸送のための引込み線が延びていて、その跡は現在グリーンパーク遊歩道になっています。

軍需工場なので米軍機による空襲の標的となり、1944年から1945年にかけて9回も空襲を受けて、多数の工場関係者や一般住民が犠牲になりました。中島飛行機に関係する主な戦跡には、武蔵野市によって「平和案内説明板」が設置されています(→こちら)。

武蔵野中央公園の歴史。
武蔵野中央公園の歴史

現在の武蔵野中央公園。
現在の武蔵野中央公園

工場正門は、現在の高齢者総合センターのすぐ横にありました。
工場正門跡

現在の様子。
現在の様子

武蔵境駅から工場へと引込み線が延びていました。その橋台跡。
引込み線橋台跡

現在は「ぎんなん橋」になっています。
ぎんなん橋

米軍機の空襲を迎え撃った高射砲陣地跡。
高射砲陣地跡

現在の様子。
高射砲陣地跡

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください