南風原町津嘉山の民家の塀

この記事では、一度に3つの戦跡を紹介していたので、それぞれ独立させました。

沖縄守備隊第32軍は、昭和20年5月27日の夜に首里城の地下壕の陣地から撤退し、一時的に南風原町津嘉山の地下壕に入りました。この民家の塀は、「鉄の暴風」と形容された沖縄戦の激しい戦闘の跡です。


下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

南風原町津嘉山の民家の塀

南風原町津嘉山の民家の塀


このような悲惨な歴史を繰り返してはならないです!

私の基本的な考えは以下の通りです。

・人と人が殺し合ってはならない。
・人を殺すための道具を持ってはならない。
・武力に対して武力で対抗してはならない。
・「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

【メモ】
津嘉山学童クラブの近く。

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