嘉数高台(第七〇高地)

宜野湾市にある嘉数高台(第七〇高地)は沖縄戦における激戦地の一つで、1945(昭和20)年4月8日から4月24日に渡って激しい戦闘が繰り広げられました(詳細は→こちら)。この戦いによる死傷者は、資料が少ないため正確には分かりませんが、日本軍64,000人、米軍24,000人にも及んだと言われ、米軍から「死の罠」「忌々しい丘」などと呼ばれました。激戦の末に嘉数高台の陣地を失った日本軍は後退を余儀なくされ、次は浦添市にある前田高地(ハクソー・リッジ)を巡って激しい戦闘が行われることになります。

沖縄戦の概要はWikipediaに詳しく書かれています(→こちら)。下の表は1950年に沖縄県援護課が発表した死亡者数です。

分類死亡者数
県外出身日本兵戦死者6万5908人
沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
戦闘に参加・協力して死亡した住民5万5246人
一般住民
3万8754人(推定)
合計18万8136人
沖縄戦における住民犠牲については(→こちら

嘉数高台

高台の上にあるトーチカ。この穴から銃で米兵を狙い撃ちしまた。
トーチカ

激しい攻撃で破壊され、鉄筋がむき出しなっています。
トーチカ

トーチカの裏側。
トーチカの裏側

日本軍の陣地豪の入り口。
日本軍の陣地豪の入り口

壁に残る着弾痕。
壁に残る着弾痕


現在の嘉数高台の展望台からは、米海兵隊・普天間飛行場を見下ろすことができます。
普天間基地

普天間基地

滑走路上はオスプレイ。
普天間基地

 


私の基本的な考えは以下の通りです。

  • 人と人が殺し合ってはならない。
  • 人を殺すための道具を持ってはならない。
  • 武力に対して武力で対抗してはならない。
  • 「抑止力」は最も危険な「導火線」である。

世界中から紛争や戦争がなくなることを心から願っています。私がこれまでにこのブログで国や戦争について書いてきた文章へのリンクはこちらです。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください