何によって憶えられたいか?

ドラッカーの名著の一冊「非営利組織の経営」のなかに、次の一文があります。

私が十三歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった

「何によって憶えられたいか?」という問いは、聞き方を変えると、「どんなことで社会に貢献したいのか?」ということだと思います。つまり、社会に対して何かの貢献をする、それによって周りの人から憶えられることが、人生にとって重要だということです。もちろん、これは世界中の人に憶えられるような大げさなことではなく、自分の周りの人に憶えられればいいのであって、要は、日々自分に対して「何によって」と問い続けることが大切なのです。

自分がこの問いのことを知ったのはかなり前のことですが、ストイックな性格のためか、歴史の教科書に載るくらいの「憶えられ方」をしたいものだと考えたものでした。夢は大きいほうがいいと思いますが、ちょっと大きすぎるでしょうか?

「非営利組織の経営」

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